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昭和40年代に少年・少女期を過ごした多くの人たちにトラウマを植え付けた怪談があります。その怪談が掲載されたのが、講談社から発刊された≪わたしは幽霊を見た≫。
わたしは幽霊を見た
昭和47年に少年少女講談社文庫として発刊された本書は、装丁こそリアルタッチのイラストがちょっとばかり恐いのですが、どう見たって児童書。内容はたかが知れています。
当時、小学校の高学年だった私も図書館でこの本を見かけて、“お、なんか面白そうな本を見つけたぞ”くらいの気持ちで手に取り、ページを開きました。

「な・・・・なんだ・・・これ」

巻頭カラーページの1枚のスケッチに釘付けになりました。
一見なんてことのない児童書、≪わたしは幽霊を見た≫には、当時の少年・少女を不眠症地獄に叩き落とすような地雷が仕込まれてあったのです。
わたしは幽霊を見た トラウマ 幽霊
このスケッチは、青森県むつ市のとある病院に現れたという幽霊を描いたもので、このおぞましい幽霊を目撃し描いたのもまた、当時、青森市在住の大高興さんというお医者さんです。
スマホなんかで撮影された心霊動画とかに慣れっこな今時の子どもたちにしてみれば、この程度のスケッチ、まったく恐くなんかないのでしょうが、何と言っても昭和40年代です。
テレビは普及していましたが、地元の身近な情報以外は、なかなか伝わってこないような時代です。まだまだ閉鎖的な地域社会、未成熟な環境や風土が子どものみならず多くの大人に霊魂の存在を信じ込ませていたような時代です
そんな時代の幽霊のスケッチ、それも自分が住む青森県内で目撃され描かれたものとなれば、幼い頃の私が、夜一人でトイレに行けなくなったばかりか、しばらくはトラウマに悩まされたというのも理解していただけるのではないかと。

この幽霊が目撃された状況を簡単に説明しますと・・・
昭和27年8月20日、日本三大霊山として有名な恐山にほど近い青森県むつ市のとある海辺の病院に宿泊することになった大高医師は、午前3時半頃、廊下にひとの気配を感じました。
「どなたですか。なにかご用ですか」と声をかけたところ、「さむいんです・・・とても、さむいんです・・・」という返事。
「それなら、どうぞ、中へお入りになりませんか」と声をかけたところ、部屋のドアが開き、氷のように冷たいものが瞬く間に大高医師のベッドの中へ。
「こらっ!」と大高医師が叫んだところ、布団の中から顔を現したのがスケッチの幽霊なのです。
状況から察するにかなりの至近距離で目撃しているわけで、私だったらきっと腰を抜かしちゃうと思うのですが、大高医師は、霊が実在する証明になると考え、すぐさまスケッチに描いたのだそうです。なお目撃した際、同室には友人もいたため、複数の目撃者の存在がこの怪事件にかかる信憑性を高めているのです。
わたしは幽霊を見た トラウマ 幽霊
大高医師は、幽霊のスケッチとともに目撃したときの状況を図解しています。

講談社の≪わたしは幽霊を見た≫に記載された内容はここまで。
そこで私としては、青森県内で発生した怪事件ですから、地元にはもっと情報があるんじゃないかと思い、およそ50年の月日が経過していますが調査を試みたわけです。
そこで出会ったのがこの2冊、≪津軽霊界下界≫と≪お化けと幽霊≫です。
お化けと幽霊 津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
いずれも著者は大高興医師なのですが、地元の出版社から少ない数で刊行されたため、これらの書籍を知るひとは少ないのではないでしょうか。

≪津軽霊界下界≫は、青森市の北の街社から昭和49年に発刊されています。
講談社の≪わたしは幽霊を見た≫から2年後の刊行ですね。
この≪津軽霊界下界≫には、くだんの怪事件の詳細が更に詳しく記されており、大高医師自身はもともと霊魂の存在に否定的だったが、この事件を境に肯定派に変わったと書かれています。
また、霊が出現した原因としては、怪事件の前日、誰かが戦死者のために捧げたであろう海に漂う花束を大高医師が目撃していたことや、むつ市の同病院には大高医師が体験した怪事件以降も幽霊騒ぎが多々あったことに触れ、戦時中、むつ市の軍港が空襲を受けた際、その病院が多くの死傷者を収容したことに起因するのでは、と仮説をたてています。
津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
ちょっと笑えたのが、大高医師の学び舎でもある弘前大学病院精神科の教授が、大高医師の幽霊の目撃体験について、当時、奥様と別居中だった大高医師の性欲の高揚による錯覚だと一蹴したという後日談。当時は、心のトラブルを何かと性的欲求に結びつけてしまうフロイト的精神分析が主流だったんでしょうね。

大高医師は、霊魂の存在をどうにか証明しようと奇妙な実験も行っていたようです。
その実験は、懇意にしていた老婦人と誓文を取り交わし、老婦人が死後、大高医師の示すいくつかの心霊現象を起こせば霊魂の存在が証明できるというもの。
この実験は、老婦人が亡くなるとともに実行に移されましたが、霊魂の存在を証明する結果は得られなかったそうです。もっともその実験結果は、昭和53年に刊行された大高医師のもう1冊の著作≪お化けと幽霊≫の文中で覆されることになるのですが・・・

その≪お化けと幽霊≫は、≪津軽霊界下界≫同様に北の街社から刊行。
≪津軽霊界下界≫から4年後の昭和53年の書籍となります。
≪お化けと幽霊≫は、大高医師が幽霊のみならずお化け(妖怪)の存在にも言及した内容で、なんと幽霊の人相学や心霊写真への考察など、ますます大高医師の研究がディープな世界に没入した怪書(笑)となっています。
本書では、くだんの怪談の後日談が詳しく記されています。
大高医師が体験した怪事件と幽霊のスケッチは、地元のテレビや新聞で数多く取り上げられ、遂には日本テレビ系列の番組≪特ダネ登場≫で全国区にまで拡散、大変な反響があったようです。
そして、そのテレビ放送を観た兵庫県明石市の女性から、「その幽霊は私の夫に間違いありません」という申し出があったというのです。
その女性曰く、「夫は海軍兵曹長で当時34歳。青森と函館を結ぶ青函連絡船の警備隊長をしており、昭和20年7月14日、米軍による青森空襲の際に砲弾の破片を全身に浴びて大量出血により死亡した。昭和27年の暮れに夫の幽霊が私の枕元に現れ、“わたしの遺体は津軽海峡を流れ彷徨っている。あるお医者様によろしく頼んだから・・・”と言っていたので、是非ともその場所で供養をしたい」とのこと。
スケッチの描写のなかで最もインパクトのある喉元に開いた大きな穴は砲弾の破片によるものだった、というおぞましい事実まで判明します。
後日、大高医師とその女性が対面。その女性が差し出した夫の写真は大高医師のスケッチと酷似しており、その模様は地元のテレビ局が、写真とスケッチの比較検証まで行うスタイルで放送されたとのこと・・・「くそ~っ、観たかったなぁ。その放送!」と今更ながら地団太踏む私なのです(笑)。
・・・にしても、≪お化けと幽霊≫には、その女性や幽霊となって現れた夫の氏名なども明記されており、やっぱりこれって作り話じゃないんだと思います。

後日談。
その女性が大高医師との面会を終えて兵庫県に帰り、夫の母親に青森県での奇妙な体験を話したところ、突然、母親の様子が一変。水を美味そうに飲み干すと「おかげで帰ってきたよ。くれぐれも祖母や母を大事にしてくれ」と繰り返し言い、「さあ、部下のいる青森に帰るか」と言った途端、母親の様子がもとに戻るという、憑依現象まであったそうな。

私自身は、心霊現象や死後の世界の存在などには懐疑的な人間です。
今回の調査も、子どもの頃に圧倒的なトラウマを植え付けた怪事件の粗探しをしてやろうというバチあたりな動機だったのですが、大高興医師が記した3冊の書籍を読む限りでは、虚言とも幻覚とも言い切れず、何よりこの怪事件に関わった多くの関係者の存在が事実であったことを証明しているようにしか思えないという、何とも釈然としない結論に至ってしまったわけです。
しかし、まだ調査は終わりません。
怪事件から65年経ったいま、くだんの病院がむつ市に残っているとは思えませんが、まだ書籍に記されていない情報などが地元で語り継がれている可能性はあります。知人を頼ってその辺りの聴き込みをしてみようと思います。

先述した、大高医師の霊魂の存在を証明する実験の後日談が≪お化けと幽霊≫に記載されてありましたので一部抜粋します。

この実験の詳細を、わたしは昭和49年≪津軽霊界下界≫に、写真と共に掲載しましたところ、間もなくして、約30人から続々と抗議の手紙や電話がかかって来ました。中には直接本を持参して、面会に来た読者もおります。この方々は、異口同音に「この写真を逆さまにして見れば、こんなにはっきり丸顔の美女が、額に白い手ぬぐいを当て、まるでお棺に寝ているような姿で、写っているではないですか」と。
津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
どうですか?その写真を逆さまにしてみましたが、霊が写ってますか?

見える人には見える・・・
この曖昧模糊とした霊魂のあり方こそが、古き良き時代の怪談を愛する私には大切なことなんですよね。
昭和 心霊 トラウマ 幽霊

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