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≪映画コミカライズ作品大全集!≫の最終回をお休みして、今年の夏のまとめを。
今年の夏の休日は、あまり外出せずに家にいることが多かったのですが、青森県田舎館村の≪スターウォーズ≫田んぼアートはしっかりと観て参りました。
たんぼアート
デカイです。とにかくそのデカさに驚きました。
たんぼアート
結局、カメラのフレームに収まらず、分割して撮影しました。
たんぼアート
田舎館村を訪れたのは8月の下旬。いまはもう稲刈りの時期になっちゃいましたので、刈り取られてしまったのか・・・なんかもったいないです(笑)。
≪スターウォーズ/フォースの覚醒≫のほかにも明らかに高倉健さんの肖像と思しきアートが。
たんぼアート
肖像権への配慮でしょうか。タイトルは≪惜しまれる人≫。
このアートは小石を並べて作成しており、やはりデカかったです。
名画≪風と共に去りぬ≫の田んぼアートのタイトルは、なぜか最高評価「特A」を獲得した青森県産米の銘柄「青天の霹靂(へきれき)」。さりげない(?)PRが可愛いです。
たんぼアート
先週のシルバーウィークは、秋田県の湯瀬温泉に家族でお出かけ。
湯瀬
渓流を眺めながら露天風呂が楽しめる≪湯瀬ホテル≫で久しぶりにゆったり、のほほ~んとした1日を過ごしました。
湯瀬
紅葉には少し早かったのが残念でしたけど。

温泉と美味しい料理を堪能した次の日は、玉川温泉経由で角館へ。
玉川温泉
玉川温泉はラジウム放射線が万病に効くと言われ、全国から湯治客が訪れる人気の温泉です。
玉川温泉
硫黄の匂いと岩盤のあちらこちらから噴出するガスが強烈です。

角館は、“みちのくの小京都”と言われるだけに、武家屋敷や桜並木、古式ゆかしい街並みが心地よかったです。
角館
角館
武家屋敷≪青柳家≫の≪ハイカラ館≫には私の大好きなアンティークコレクションが。
角館
角館
秋田県のソウルフード(スィーツ?)、≪ババへらアイス≫。薔薇の花弁のようで綺麗です。
角館
角館
こんな素敵なお店で食べる≪稲庭うどん≫は最高に美味でしょうね。
わたしは比内鶏の親子どんをいただいちゃいましたが(笑)。










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1960年代から1970年代初頭にかけてブームとなった《劇画》。
その背景には、当時盛んだった学生運動があったと言われます。日米安全保障条約の改定やベトナム戦争への反対などを大義名分にかかげて学生運動に心酔していた当時の大学生たちは《青林堂》の《ガロ》を愛読し、かの《よど号ハイジャック事件(1970年)》を起こした赤軍派グループは「われわれは《あしたのジョー》である」という宣言をして世間を驚かせました。
《劇画》ブームは当時の若者の思想や生活スタイルなどを反映したムーブメントだったのです。しかし1970年代になって学生運動が衰退し始めると、革命のアイコンとして若者に支持されていた《劇画》への関心も失われていきました。
“重い”“暑苦しい”《劇画》は若者から敬遠され、1980年代の“軽薄短小”時代へのシフトが顕著化し、《漫画》もまた“軽くて”“スマート”なものへと若者の興味は変化し始めるのです。

“もはや《劇画》の時代は終わった”―
                 
そんな時代背景のなかで秋田書店は、《月刊(別冊・増刊)少年チャンピオン》、《週刊・別冊・月刊プレイコミック》誌上で《劇画(誌上)ロードショー》の連載をスタートするのです。

■秋田書店と《劇画(誌上)ロードショー》

いまなお1970年代映画のコミカライズ作品群が語り継がれる背景には秋田書店の功績があることは言うまでもありません。
《月刊(別冊・増刊)少年チャンピオン》、《週刊・別冊・月刊プレイコミック》誌上での《劇画(誌上)ロードショー》の連載はいま考えても画期的な企画です。何しろまだ公開前の新作映画を、原則的にはそのエンディングに至るまで描いてしまうのですから。
劇画ロードショー
劇画ロードショー
劇画ロードショー
映画製作(配給)会社、雑誌出版社相互の広報効果が見込まれたからの企画だとは思いますが、映画会社側にしてみれば“ネタばれ”必至なわけで、大変リスキーな企画でもあったのではないかと。
“映画泥棒”なんて言葉を、映画を観るたびに頭に叩き込まれているきょう日の映画ファンには考えられない企画なんじゃないでしょうか(笑)。
映画会社がそんな“冒険的”な広報戦略に打って出た背景には当時の映画を取り巻く環境があったと考えられます。
1970年代といえば、それまでの歴代興行成績が次々と更新され続けた時代。1972年《ゴッドファーザー》、1973年《エクソシスト》、1974年《タワーリングインフェルノ》1975年《ジョーズ》と、毎年のように超ヒット作が連発し、興行成績の新記録を樹立していた時代なのです。
大衆娯楽といえば映画。もちろんビデオソフトで個人が映画作品を所有できる時代の到来はまだまだ先で、テレビの高視聴率を獲得するのも話題の映画の地上波オンエアという、正に映画が娯楽の中心に鎮座していた時代なのです。
“当たれば大きな収益をもたらす”映画故に各映画配給会社の広報合戦も激化。
《東宝東和》が1970年代に展開した度肝を抜く数々の広報展開はいまなお伝説として語り継がれている程です。(《サスペリア(1977年)》=観客をショック死保険に加入、《スクワーム(1976年)》=ミミズ風呂耐久コンテスト等々・・・)
そんな1970年代の映画広報を考えると、たとえ“ネタばれ”しようとも、普段映画館に足を運ばない“潜在顧客”を取り入れる手法として、《劇画ロードショー》は“勝算あり”な企画だったのでしょうね(笑)。
コミカライズ 映画
《劇画ロードショー》化された1970年代映画のほんの一部。

一方で漫画雑誌の出版社、秋田書店に目を向けると、そこには伝説の編集者の姿があるようです。
秋田書店の名物編集長として知られる壁村 耐三(1934-1998)です。
秋田書店 影村耐三
壁村 耐三さんをモデルにした漫画のひとコマ。

壁村さんは、編集長就任後、着実に《少年チャンピオン》の売り上げ部数を伸ばし、1977年には売上200万部を達成。《少年ジャンプ》などの人気漫画誌を追い越し、週刊少年誌の売り上げ第1位にまで押し上げたのです。
豪快な風貌(?)とキャラクターの壁村さんは「常識を壊せ」が口癖。合議による企画決定を嫌う破天荒な方だったようですね。一方で情に厚く、劇画ブームのなかで“過去のヒト”と揶揄されていた手塚治虫さんに『ブラック・ジャック』を書かせ、これが大ヒット。手塚さんの窮地を救ったことでも知られています。
その壁村さんが《劇画ロードショー》の連載に関わっていたと言われています。
恐らくは壁村さんが大の映画好き・・・ということではなく、《少年チャンピオン》を他誌と差別化することで新たな読者層を獲得する・・・その戦略のひとつが《劇画ロードショー》だったのではないでしょうか。
確かに他誌でも映画のロードショー公開に合わせたコミカライズ作品の単発掲載や一作品を数回に分けて連載するという事例は存在します。が、毎号別作品を連載するという形態は秋田書店が最初で最後です。やはり壁村さんのポリシー「常識を壊せ」を体現した企画だったと思わざるを得ません。
加えてこれも推測でしかないのですが、《劇画》ブームが衰退し始めた時代にあえて《劇画ロードショー》と銘打ち映画のコミカライズ作品を掲載し続けた背景には、セックス描写満載のアダルト雑誌に身を落とし、時代の仇花のように風化の一途をたどる《劇画》の新たな可能性の追求や、新人漫画家の新しい才能の発掘的要素もあったのではないか、と。
なぜなら《劇画ロードショー》は、メジャーな漫画家よりも、知名度が低く、しかしながら確かな作画力を持つ漫画家が手がけることが多かったのです。そう考えれば、一話完結の単発作品であり、比較的大きなページ数が与えられる《劇画ロードショー》は“潜在顧客”確保の要素も含めて、新人に“腕試し”させる最良の場だったんじゃないでしょうか。

■制作の苦労が伺える《劇画(誌上)ロードショー》

《劇画(誌上)ロードショー》のセールスポイントは言うまでもなく、公開前の映画のコミカライズ。でもそこにはいろいろな苦労があったようです。
もちろんいち読者(ファン)の私にそんなことを知る術はないのですが、一説によると、試写が行える場合は映画鑑賞後に制作に入りますが、それが出来ないときは、関係者用に配布されるプレス資料や原作本・ノベライズ本を参考に作画することもあったようです。
事実、掲載されたいくつかの作品にはその片鱗がうかがえます。
たとえば、1973年に公開されたブルース・リー主演の普及の名作《燃えよドラゴン》のコミカライズでは、リーの敵役のオハラが初期設定の“オカダ”になっていたり、映画ではラスト、槍に胸を貫かれて死ぬオハラがノベライズ同様、自分が装着していた鋼鉄の義手が突き刺さり死ぬなど、映画のストーリーを正しく掌握しないまま制作された背景が伺えます。
燃えよドラゴン
《燃えよドラゴン》の公開時のパンフレットとノベライズ本

また1974年に公開された《悪魔の赤ちゃん》に関していえば、《別冊少年チャンピオン》1974年10月号(《ヘルハウス》掲載)で次号での掲載が告知されていますが、その内容がまるで1957年に日本公開された《悪い種子》のような“サイコキラー”もののように書かれています・・・でもこの映画観たことのある人は分かりますよね・・・《悪魔の赤ちゃん》は突然変異化した赤子の怪物が人を殺しまくるSFホラーですから。
悪魔の赤ちゃん
知的な殺人鬼という容姿の≪劇画ロードショー≫掲載告知版《悪魔の赤ちゃん》。でも実際は・・・
悪魔の赤ちゃん
・・・これが実際の・《悪魔の赤ちゃん》・・・知性のカケラも感じられないモンスターなのです。

原則「“ネタばれ”上等!(笑)」の《劇画(誌上)ロードショー》ですが、なかにはラストを描かずに“つづきは劇場で”とお茶を濁した作品もあるようです。
《月刊プレイコミック》1975年5月号に掲載された《ジャガーノート》です。
劇画ロードショー
公開当時の《ジャガーノート》のパンフレットと《劇画ロードショー》

この映画は、ビートルズ映画で名を馳せたリチャード・レスター監督のサスペンス・パニック映画で、豪華客船に仕掛けられた時限爆弾の処理を行う名優リチャード・ハリスの緊張感溢れる演技が今なお語り継がれる名作です。
起爆装置に繋がれた2本のケーブルのどちらを切るか・・・その後、テレビ・映画の爆弾処理のサスペンスを盛り上げる演出でパクられ続けている《ジャガーノート》の名ラストシーンがコミカライズでは割愛されているというわけです。

他にも主要登場人物が多すぎるが故に複数キャラクターを一人の登場人物に集約せざるを得なかったたなべせつをさんの《カサンドラ・クロス》やすがやみつるさんの《ダーティ・ハリー2》、映画本編とは異質な日本的怪奇描写が暴走・・・否!功を奏した(笑)古賀新一さんの《エクソシスト》や《ヘルハウス》、作画の迫力が実際の映画の出来を大きく上回ってしまったたなべせつをさんの《ジャイアント・スパイダー大襲来》などなど、1970年代に秋田書店が連載した《劇画(誌上)ロードショー》には、制作にかかる苦労が垣間見える反面、ときに映画を超越するクリエイターの才覚が楽しめるという“癖になる”魅力が詰まっていたのです。
劇画ロードショー
《劇画ロードショー》において、無残な最期は複数集約キャラの宿命です。《カサンドラ・クロス》、《ダーティ・ハリー2》より。

劇画ロードショー
夢にうなされそうな古賀新一版《エクソシスト》と《ヘルハウス》。
劇画ロードショー
《劇画ロードショー》を読んで、期待して劇場に足を運んだら・・・・トホホ映画の代表作《ジャイアント・スパイダー大襲来》。
                                                                           (つづく)

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