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久しぶりに映画館で観たのが≪ダンケルク≫。
今年の上映作品のなかではダントツの期待作です。
ダンケルク
迫力ありましたね~モノホンの戦闘機。
監督のクリストファー・ノーランはCGに頼らない映像づくりに拘ったとのことで、本作に登場する戦闘機も実機を飛ばして撮影したというからミリタリーマニアにはたまらない。
ドイツ軍のメッサーシュミットとイギリス軍のスピットファイヤーの実機による空中戦を観れるだけでも入場料払った価値があるというものです。
昭和 写真で見る世界シリーズ
秋田書店の≪写真で見る世界シリーズ≫は、子どもの頃の愛読書。戦車や戦闘機を好きになったのはその影響か?
ダンケルク
作品としては意図的にドラマティックな演出を避け、史実に忠実に仕上げたドキュメンタリータッチという印象でした。
そういう意味では、スティーブン・スピルバーグ監督の≪プライベートライアン≫以降の戦争映画のスタイルを踏襲しているわけですが、≪プライベートライアン≫が人の無残な死も含めて圧倒的リアリティーで戦争を描いたのに対して、≪ダンケルク≫は人の直接的な死の描写を避けてあるためか、鑑賞後の後味は割合あっさりしています。
ただ私としては、作風はリアリティー志向なのに、兵士の直接的な死が描かれないというアンバランスさに少し違和感を覚えましたね。≪プライベートライアン≫に負けじとドラマ性を排除し、陰惨な戦闘シーンと兵士の死の描写で貫き通したリドリー・スコット監督の≪ブラックホーク・ダウン≫はやり過ぎだとしても、世界情勢が緊迫している昨今だからこそ戦争が生む不条理、理不尽な悲劇は容赦なく描くべきだと思いますし。

しばらく家族で旅行してないな・・・ってことで、家族会議を経て北海道旅行の敢行を決定。
青森から函館までは新幹線を利用し、函館からはレンタカーで札幌、小樽という旅程となりました。
だが、しかし・・・日本列島を襲撃した台風18号・・・私たちは台風とともに北上するハメに・・・
初日はまだ台風も本州にいたため、函館からはレンタカーで難なくスタート。
札幌までは、高速道路を使わず、途中、道の駅で休憩を挟みながらひたすら一般道を走り続けること250キロ。
時間にして約5時間と、ドライバーにしてみればしんどいのですが、函館、札幌間は高速を利用すると300キロと遠回りになり、所要時間はあまり変わらないのだそうです。
到着した札幌も天候は穏やかでしたね。
さっぽろビール園
さっぽろビール園で美味しいビールとジンギスカンを堪能し・・・
札幌 時計台
時計台や大通公園のテレビ塔からの夜景を楽しむ、というお決まりの観光コースを楽しみました。

二日目。
札幌にも徐々に台風の影響が・・・
断続的な雨と強風を避け、主に地下鉄や地下商店街を利用しての移動となりました。
札幌 まんだらけ
≪まんだらけ≫の札幌店を訪ねて≪ノルベサ≫へ。
ここの屋上には観覧車があるのですが、乗ったことを後悔するほどに怖い観覧車でしたね。高さが半端なく、身じろぎひとつ出来なかった(笑)。
夜の札幌
≪まんだらけ≫で買い物した後は、夜のすすきのを散歩し、有名店≪すみれ≫の味噌ラーメンをいただきました。
札幌 味噌ラーメン すみれ
何やら空模様も怪しくなってきました。
明日は小樽に移動です。
夜の札幌
小樽への移動途中で≪白い恋人パーク≫に寄り道。
白い恋人パーク
白い恋人パーク
ここにはアンティークコレクションの展示施設があり、見応えのある展示物がズラリ。
白い恋人パーク
アンティークコレクションの入場口に鎮座するロボットライダー(?)
展示物のほんの一部をご紹介。
白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク
テレビ東京≪お宝鑑定団≫で500万円の鑑定額がついた≪軍艦 鹿島≫のブリキのオモチャやベッカムのユニフォームなどなど、コレクションに幅があり過ぎます。
これって≪白い恋人≫の社長さんのコレクションなんでしょうか?

小樽に到着したあたりから天候は大荒れ。
横殴りの雨と強風のなかでの観光となりました。
小樽
まあ、雨の小樽も風情があって良かったですね。
しっかり美味しいお寿司をいただき、今夜の宿泊先の定山渓に移動。
北海道
まるで、スロットカーのレーシングコースのような道路を走って定山渓に向かいます。

いよいよ北海道旅行も終盤。
函館までの帰り道。途中、洞爺湖に寄り道したら、なんかみたことのあるオートバイが・・・
洞爺湖
最近、実写化もされた≪銀魂≫に登場するオートバイが駐車したお店は≪越後屋≫、アニメグッズなんかを取りそろえたお土産屋さんでした。

まあ、そんなわけで3泊4日の北海道旅行を終えたわけです。
結果として思ったのは、やっぱりレンタカー移動にして良かったな、ということ。
もちろん旅行は予め計画を立てて行きますが、天候や旅行先で仕入れた情報で計画を変更するなんてことはままあります。
そんなときに移動手段が自動車だと容易く変更が可能ですし、移動途中で思いがけず観光施設に出くわすなんてこともありますから。
事実、≪白い恋人パーク≫は当初の計画には無くて、小樽への移動途中で、「なんだ?あれ」ってな感じで行ってみたら、私の趣味に“どストライク”なところだったわけです。
私も、年齢が年齢ですから長距離運転はツラくなってきているのですが、運転に支障が出るまでは高齢者ドライバーと揶揄されようとも、頑張っていろんなところをドライブしたいな、と改めて思った旅行でもありました。



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昭和40年代に少年・少女期を過ごした多くの人たちにトラウマを植え付けた怪談があります。その怪談が掲載されたのが、講談社から発刊された≪わたしは幽霊を見た≫。
わたしは幽霊を見た
昭和47年に少年少女講談社文庫として発刊された本書は、装丁こそリアルタッチのイラストがちょっとばかり恐いのですが、どう見たって児童書。内容はたかが知れています。
当時、小学校の高学年だった私も図書館でこの本を見かけて、“お、なんか面白そうな本を見つけたぞ”くらいの気持ちで手に取り、ページを開きました。

「な・・・・なんだ・・・これ」

巻頭カラーページの1枚のスケッチに釘付けになりました。
一見なんてことのない児童書、≪わたしは幽霊を見た≫には、当時の少年・少女を不眠症地獄に叩き落とすような地雷が仕込まれてあったのです。
わたしは幽霊を見た トラウマ 幽霊
このスケッチは、青森県むつ市のとある病院に現れたという幽霊を描いたもので、このおぞましい幽霊を目撃し描いたのもまた、当時、青森市在住の大高興さんというお医者さんです。
スマホなんかで撮影された心霊動画とかに慣れっこな今時の子どもたちにしてみれば、この程度のスケッチ、まったく恐くなんかないのでしょうが、何と言っても昭和40年代です。
テレビは普及していましたが、地元の身近な情報以外は、なかなか伝わってこないような時代です。まだまだ閉鎖的な地域社会、未成熟な環境や風土が子どものみならず多くの大人に霊魂の存在を信じ込ませていたような時代です
そんな時代の幽霊のスケッチ、それも自分が住む青森県内で目撃され描かれたものとなれば、幼い頃の私が、夜一人でトイレに行けなくなったばかりか、しばらくはトラウマに悩まされたというのも理解していただけるのではないかと。

この幽霊が目撃された状況を簡単に説明しますと・・・
昭和27年8月20日、日本三大霊山として有名な恐山にほど近い青森県むつ市のとある海辺の病院に宿泊することになった大高医師は、午前3時半頃、廊下にひとの気配を感じました。
「どなたですか。なにかご用ですか」と声をかけたところ、「さむいんです・・・とても、さむいんです・・・」という返事。
「それなら、どうぞ、中へお入りになりませんか」と声をかけたところ、部屋のドアが開き、氷のように冷たいものが瞬く間に大高医師のベッドの中へ。
「こらっ!」と大高医師が叫んだところ、布団の中から顔を現したのがスケッチの幽霊なのです。
状況から察するにかなりの至近距離で目撃しているわけで、私だったらきっと腰を抜かしちゃうと思うのですが、大高医師は、霊が実在する証明になると考え、すぐさまスケッチに描いたのだそうです。なお目撃した際、同室には友人もいたため、複数の目撃者の存在がこの怪事件にかかる信憑性を高めているのです。
わたしは幽霊を見た トラウマ 幽霊
大高医師は、幽霊のスケッチとともに目撃したときの状況を図解しています。

講談社の≪わたしは幽霊を見た≫に記載された内容はここまで。
そこで私としては、青森県内で発生した怪事件ですから、地元にはもっと情報があるんじゃないかと思い、およそ50年の月日が経過していますが調査を試みたわけです。
そこで出会ったのがこの2冊、≪津軽霊界下界≫と≪お化けと幽霊≫です。
お化けと幽霊 津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
いずれも著者は大高興医師なのですが、地元の出版社から少ない数で刊行されたため、これらの書籍を知るひとは少ないのではないでしょうか。

≪津軽霊界下界≫は、青森市の北の街社から昭和49年に発刊されています。
講談社の≪わたしは幽霊を見た≫から2年後の刊行ですね。
この≪津軽霊界下界≫には、くだんの怪事件の詳細が更に詳しく記されており、大高医師自身はもともと霊魂の存在に否定的だったが、この事件を境に肯定派に変わったと書かれています。
また、霊が出現した原因としては、怪事件の前日、誰かが戦死者のために捧げたであろう海に漂う花束を大高医師が目撃していたことや、むつ市の同病院には大高医師が体験した怪事件以降も幽霊騒ぎが多々あったことに触れ、戦時中、むつ市の軍港が空襲を受けた際、その病院が多くの死傷者を収容したことに起因するのでは、と仮説をたてています。
津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
ちょっと笑えたのが、大高医師の学び舎でもある弘前大学病院精神科の教授が、大高医師の幽霊の目撃体験について、当時、奥様と別居中だった大高医師の性欲の高揚による錯覚だと一蹴したという後日談。当時は、心のトラブルを何かと性的欲求に結びつけてしまうフロイト的精神分析が主流だったんでしょうね。

大高医師は、霊魂の存在をどうにか証明しようと奇妙な実験も行っていたようです。
その実験は、懇意にしていた老婦人と誓文を取り交わし、老婦人が死後、大高医師の示すいくつかの心霊現象を起こせば霊魂の存在が証明できるというもの。
この実験は、老婦人が亡くなるとともに実行に移されましたが、霊魂の存在を証明する結果は得られなかったそうです。もっともその実験結果は、昭和53年に刊行された大高医師のもう1冊の著作≪お化けと幽霊≫の文中で覆されることになるのですが・・・

その≪お化けと幽霊≫は、≪津軽霊界下界≫同様に北の街社から刊行。
≪津軽霊界下界≫から4年後の昭和53年の書籍となります。
≪お化けと幽霊≫は、大高医師が幽霊のみならずお化け(妖怪)の存在にも言及した内容で、なんと幽霊の人相学や心霊写真への考察など、ますます大高医師の研究がディープな世界に没入した怪書(笑)となっています。
本書では、くだんの怪談の後日談が詳しく記されています。
大高医師が体験した怪事件と幽霊のスケッチは、地元のテレビや新聞で数多く取り上げられ、遂には日本テレビ系列の番組≪特ダネ登場≫で全国区にまで拡散、大変な反響があったようです。
そして、そのテレビ放送を観た兵庫県明石市の女性から、「その幽霊は私の夫に間違いありません」という申し出があったというのです。
その女性曰く、「夫は海軍兵曹長で当時34歳。青森と函館を結ぶ青函連絡船の警備隊長をしており、昭和20年7月14日、米軍による青森空襲の際に砲弾の破片を全身に浴びて大量出血により死亡した。昭和27年の暮れに夫の幽霊が私の枕元に現れ、“わたしの遺体は津軽海峡を流れ彷徨っている。あるお医者様によろしく頼んだから・・・”と言っていたので、是非ともその場所で供養をしたい」とのこと。
スケッチの描写のなかで最もインパクトのある喉元に開いた大きな穴は砲弾の破片によるものだった、というおぞましい事実まで判明します。
後日、大高医師とその女性が対面。その女性が差し出した夫の写真は大高医師のスケッチと酷似しており、その模様は地元のテレビ局が、写真とスケッチの比較検証まで行うスタイルで放送されたとのこと・・・「くそ~っ、観たかったなぁ。その放送!」と今更ながら地団太踏む私なのです(笑)。
・・・にしても、≪お化けと幽霊≫には、その女性や幽霊となって現れた夫の氏名なども明記されており、やっぱりこれって作り話じゃないんだと思います。

後日談。
その女性が大高医師との面会を終えて兵庫県に帰り、夫の母親に青森県での奇妙な体験を話したところ、突然、母親の様子が一変。水を美味そうに飲み干すと「おかげで帰ってきたよ。くれぐれも祖母や母を大事にしてくれ」と繰り返し言い、「さあ、部下のいる青森に帰るか」と言った途端、母親の様子がもとに戻るという、憑依現象まであったそうな。

私自身は、心霊現象や死後の世界の存在などには懐疑的な人間です。
今回の調査も、子どもの頃に圧倒的なトラウマを植え付けた怪事件の粗探しをしてやろうというバチあたりな動機だったのですが、大高興医師が記した3冊の書籍を読む限りでは、虚言とも幻覚とも言い切れず、何よりこの怪事件に関わった多くの関係者の存在が事実であったことを証明しているようにしか思えないという、何とも釈然としない結論に至ってしまったわけです。
しかし、まだ調査は終わりません。
怪事件から65年経ったいま、くだんの病院がむつ市に残っているとは思えませんが、まだ書籍に記されていない情報などが地元で語り継がれている可能性はあります。知人を頼ってその辺りの聴き込みをしてみようと思います。

先述した、大高医師の霊魂の存在を証明する実験の後日談が≪お化けと幽霊≫に記載されてありましたので一部抜粋します。

この実験の詳細を、わたしは昭和49年≪津軽霊界下界≫に、写真と共に掲載しましたところ、間もなくして、約30人から続々と抗議の手紙や電話がかかって来ました。中には直接本を持参して、面会に来た読者もおります。この方々は、異口同音に「この写真を逆さまにして見れば、こんなにはっきり丸顔の美女が、額に白い手ぬぐいを当て、まるでお棺に寝ているような姿で、写っているではないですか」と。
津軽霊界下界 トラウマ 幽霊
どうですか?その写真を逆さまにしてみましたが、霊が写ってますか?

見える人には見える・・・
この曖昧模糊とした霊魂のあり方こそが、古き良き時代の怪談を愛する私には大切なことなんですよね。
昭和 心霊 トラウマ 幽霊

1960年以降のサブカルチャーを語るとき、忘れちゃあいけないのが、横尾忠則と寺山修司。
グラフィックデザイナーの横尾忠則は1967年、寺山修司が中心となって結成された演劇実験室≪天井桟敷≫のメンバーとして活躍したほか、作家の三島由紀夫の写真集≪薔薇刑≫のデザインワークをはじめ、数々の雑誌、書籍の装丁を手がけるなど、日本のビジュアルカルチャーを牽引してきた第一人者。
そういえば、細野晴臣と交流のあった横尾忠則は、≪イエローマジックオーケストラ≫のメンバー加入を記者発表その日にドタキャンしたことでも有名。横尾さんの在籍するYMOって・・・実現してほしかったなぁ。

あおもりでは現在、この偉大なるサブカルチャーの旗手に関連した催しものが開催されています。
寺山修司記念館(三沢市)の開館20周年を記念する特別企画展≪寺山修司とマンガ≫展と十和田市現代美術館で開催中の≪横尾忠則 十和田ロマン展≫です。
横尾忠則 十和田ロマン展
≪寺山修司とマンガ≫展は、≪あしたのジョー≫や≪風と木の詩≫といったマンガを愛した寺山修司に焦点を当てた企画展ですが、私、残念ながらまだ行けてません(泣)。
≪横尾忠則 十和田ロマン展≫は先日、ようやく時間をやりくりして行って参りました。
ホントは、横尾さんが公開制作を行った特別イベントの日に行きたかったんですけどね・・・叶わず・・・トホホ・・・
十和田市現代美術館
十和田市現代美術館は壁面アートが可愛い美術館。
十和田市現代美術館
正面入り口には巨大ヒアリ(!)が・・・

それにしても横尾さんが十和田湖に愛着をもって下さっていたというのは驚きであり、感激であります。
今回の個展は十和田湖を描いた作品も展示されるということで、私も気合十分だったわけです。
出展された作品の数はあまり多くはありませんが、もう横尾ワールド全開!
写真撮影もOKということもあり、写真撮りまくりな私なのです。
横尾忠則 十和田ロマン展

横尾忠則 十和田ロマン展

横尾忠則 十和田ロマン展

横尾忠則 十和田ロマン展

実は私、横尾作品関連の収集もしております。
さすがにシルクスクリーンは高額で手が出ませんので、オフセット印刷のポスターなんかですけど、一部ご紹介を。
横尾忠則 ポスター
横尾さんの直筆サイン入りポスター
横尾忠則 ポスター
テレビ東京≪お宝鑑定団≫でお馴染み北原照久コレクションミュージアムのポスター
横尾忠則 ポスター
1996年新作展のポスター
横尾忠則 ポスター
山口県で開催された個展のポスター。実は私のコレクションのなかでも一番のお気に入りです。
横尾忠則 装丁
装丁を手がけた書籍、雑誌
寺山修司
日本の浮世絵やロシア構成主義など、さまざまな藝術文化の影響を受けられているであろう横尾作品にはココロを鷲掴みにする魅力が溢れていますね。

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いよいよWOWOWで≪シン・ゴジラ≫が放送されます。
私、≪シン・ゴジラ≫は、ブルーレイソフトを購入してからというもの、ホント毎週観てます。
映画館にも2回足を運びましたので、恐らく10回は観てます。
それでも飽きません。
恐らく来週も週末になればブルーレイで観ちゃうと思いますし、WOWOWのオンエアもチェックしちゃうと思います。
これまで数えきれないほどに複数回観賞した映画には、≪ジョーズ≫、≪七人の侍≫、≪エクソシスト≫、≪ゴッドファーザー≫、≪時計じかけのオレンジ≫なんかがありますが≪シン・ゴジラ≫はその比ではありません。

“それにしても・・・この映画、なんでこんなに面白いんだろう・・・”

その謎を解き明かしたくて、買っちゃいました≪THE ART OF SHIN GODZILLA≫。
シン・ゴジラ
完成台本も付いたこの本、メチャクチャ面白いです。
読み始めてから2週間は経つのに、まだ半分くらいまでしか読めてません。
百科事典くらいの分厚さのなかに、決定稿に至るまでの脚本やスタッフへのインタビュー記事、各種設定資料などなどがこれでもかというくらいに詰め込まれていて、その情報量たるや半端ない。
それでもどんな小さな文字も読み飛ばさず、最近、こんなにもワクワクしながら読書することないんじゃないか、というくらいにハマってます。
シン・ゴジラ
興味深かったのが初期の脚本。
≪ゴジラ VS ビオランテ≫を彷彿させるスパイアクション風の初期脚本が紆余曲折を経て決定稿に至る過程が手に取るようで、≪シン・ゴジラ≫の面白さの秘訣のひとつが、妥協なきストーリーの推敲にあったことが理解できます。
日本映画として初めて、プリヴィズを本格的に導入した意図や、体内に原子炉を有するという荒唐無稽な生物の創出に執拗なまでの生物学的、物理学的説得力を追求したその製作姿勢には驚きを通り越して、敬意すら覚えます。
また、≪ヤシオリ作戦≫決行時に矢口内閣官房副長官を演じた長谷川博己が演説する演技に対して庵野秀明総監督が行ったという演技指導秘話には、ちょっとグッときちゃいました。
ちょっとお値段はお高いですが、≪シン・ゴジラ≫を愛するひとには是非読んでいただきたい1冊であります。

先日、東京出張の際、いつになく東京駅は八重洲口に出てみました。
東京駅 シン・ゴジラ
「おお~っ・・・ゴジラが≪ヤシオリ作戦≫に屈して枕にした東京駅だ・・・」
≪シン・ゴジラ≫を観たあとの東京駅は、なにか特別な聖地のようにも思えましたよ。




気づけば5月も終盤。

ゴールデンウィークも遥か昔なんですが、今年も奥さんとふたりで我が家恒例の弘前市≪桜まつり≫に行って参りました。
今年の弘前市≪桜まつり≫は、観桜会100周年企画とやらで人力車の運行が行われたほか、旅行会社の調査で“GWに行きたい観光地”の上位に弘前市が選ばれたとか、海外からも代表的な日本の桜の名所として注目された、とかで、東日本大震災以降最多の230万人の来場者があったとのこと。
桜まつり2017
現在、弘前城本丸の石垣工事のため、お城は70メートルほど定位置から移動してますが、お城移動の際の曳き屋工事、石垣解体工事まで観光に結び付けてしまう弘前市の広報手腕はなかなかのもの。
いま弘前市は青森県内で、最も効果的な広報展開を行っている自治体ではないでしょうか。
岩木山
人間、50年以上生きてると、それまで全く興味がなかったものにもいろいろと興味が湧いてくるものです。
若い頃、まったく興味がなかった、野に咲く草花が恋しい今日この頃(笑)。
青森県中央部、陸奥湾に突き出た夏泊半島に野生の椿が群生する場所があると知り出かけました。
夏場は多くの海水浴客で賑わう夏泊半島も、ゴールデンウィークは人や車の姿も無くガラガラ。
何処行っても人混みや渋滞にウンザリさせられるゴールデンウィークなのに、風光明媚な景色と快適なドライヴをゆったりとした気分で楽しめるなんて最高じゃないですか。
くだんの椿の群生地は≪椿山≫といって、「日本の渚百選」にも 認定されているところでした。
椿山
意外と地元の人間でも知らない隠れた名所ってあるもんです。
この≪椿山≫、開花時には、1万数千の椿で丘陵一帯が真紅に彩られるそうですが、私たちが訪れたときには散りかけていました。来年は開花時のタイミングで再訪したいです。
で、この≪椿山≫には、実は悲恋伝説があることも知ったわけです。
椿山
その昔、交易にきた越前商人と恋仲になった村の娘お玉が、商用で一時国へ帰らなければならなくなった越前商人に「京の女がつけている椿の油が欲しい、今度来る時はその実を持ってきてください。絞って塗りたい」と告げたのだそうです。だが越前商人は約束の年になっても帰ってこない・・・深い恨みを抱いたお玉は海に入って死んでしまいます。村の人々は泣き悲しみ、海が見えるこの地にお玉の墓をつくって埋めました。そして三年の月日を経て、越前商人は約束の椿の実を持って帰って来たのですが、お玉の死を村人から聞き、倒れんばかりに嘆き悲しみ、せめて慰みにと椿の実をお玉の墓のまわりに埋めてやった・・・それが芽を出し、年々繁殖し、椿が山を覆うようになり、今日の≪椿山≫になったのだそう。
たしかに、椿神社の境内には、この伝説を記した紹介板や、「お玉の墓」と伝わる祠なども建っていました。
椿山

外出する機会の多い季節となりました。
そこで、ピクニックやバーベキューなんかのお供に最適なグッズの紹介です。
この二つのケース、何だか分かりますか。
アナログ レコード
実は、ポータブルレコードプレーヤーとEP盤専用の収納ケースなのです。
アナログ レコード
音楽を聴くその都度、ターンテーブルにレコードをセッティングするのが面倒ってのはありますけど、キャンプだったら、夜一人でビールを飲みながらお好みのレコードを一枚一枚、じっくりと楽しむってのもアリです。
アナログ レコード
このレコードプレーヤー、≪Musitrend≫という中国のメーカーのものなんですが、スピーカー内蔵、USB端子での充電も可能ですから、電源のない屋外なんかでも使用できます。
加えて、アナログレコードをUSBなんかに録音し、再生することもできる優れモノ。
スーツケース型のデザイン性も洒落てて素敵です。
これで1万円弱の低価格って嬉しいじゃありませんか。
私、このレコードプレーヤーを購入してからというもの、物置にしまいっ放しだったアナログレコードを掘り起こして聴きまくってます。
アナログ レコード

そういえば、本ブログでも泣きごとを並べた(笑)、メビウスモデル社の≪ミクロの決死圏 特殊潜航艇プロテウス号≫のエッチングパーツが発売されましたね。
私が切望した搭乗員のフィギュアはさすがに無理(泣)でしたが、コクピット廻りなんかのディティールアップを予定していたモデラーには嬉しいニュースです。
ミクロの決死圏 プロテウス号
このエッチングパーツ、何やら好評のようで、売切れ店続出のようですが、やっぱりプロテウス号の隠れファンって多いんでしょうね。私も即行、大阪の≪アストロ・ゾンビーズ≫さんから購入しましたが、製作はまだまだ先かな~。搭乗員をどうするかのプランも定まってないし・・・

最後は以前、本ブログで“死ぬまでに観たい映画”の1本として紹介した映画について。
恐らく、映像ソフトの入手は困難、故に観賞もあり得ないだろうと思っていた≪地獄のサブウェイ≫を奇跡的に入手しました。
地獄のサブウェイ
≪パシフィック・リム≫のギレルモ・デル・トロ監督がオールタイム・フェイバリット・ムービーにあげ、監督は、ゾンビ映画の傑作≪ゾンゲリア≫のゲイリー・シャーマン、そして主演が≪ミクロの決死圏≫のドナルド・プリーザンス、≪吸血鬼ドラキュラ≫のクリストファー・リーという伝説のホラー映画です。
暗い・・・です。
えらく暗い映画です。
物語は1890年代に崩落事故で生き埋めになった地下鉄工事関係者が地下で生き延び、現代のイギリスで人食いを繰り返すという一見ホラーなんですが、テイストは異色犯罪モノに近いように思えます。
地下鉄利用者を襲い食する食人鬼も、決してモンスターとしては描かれておらず、敗血症や巨赤芽球性貧血を患う時代の進化に取り残された異人として描かれていて、その姿、たち振る舞いは悲哀に満ちていて。
登場する食人鬼は男女2人。崩落事故から100年近くが経っているわけだから、事故を生き延びた工事関係者の孫にあたるのかな。出産を間近に控えた女性の食人鬼は、栄養不足のため寝たきりで、物語中盤で死んでしまう。伴侶を亡くした男性の食人鬼は繁殖相手が欲しくて女子大生を誘拐し、救出にきたその彼氏に殴り殺されてしまう。
そのシーンが哀し過ぎる・・・・食人鬼は、唯一、父親から教わったであろう人間の言葉、「扉にお気をつけください」という地下鉄乗務員の常套句を、助けを乞うように何度も何度も繰り返し息絶える。
その言葉だけが、彼にとっての異文化との接点であり、かつては人間だった名残りなのだ・・・
おどろおどろしいビデオのパッケージアートと映画本編の内容のギャップに戸惑い、少しばかり心をヤラれる1本でした。
地獄のサブウェイ





 本を愛でる。  2017/04/16 (Sun)
本との付き合い方はひとそれぞれ。
通勤や通学のお供にバッグに本をしのばせ、電車やバスの中で読書を楽しむひともいれば、図書館などの静謐な空間でじっくり読書に向かい合うひともいる。
かと思うと、入浴しながら、トイレで用を足しながらってツワモノもいたりして・・・
私は寝床派。
常時、枕元には数冊の本が平積みしてあって、その日の気分で読む本を選ぶという乱読タイプです。
不眠症と過眠症をアトランダムに繰り返す傾向にある私の枕元には、不眠症傾向のときは長編小説、過眠症傾向のときはエッセイ集や短編小説集なんかが積み上げられていることが多いです。
まあ、眠れないときはじっくりと長めの文章に向き合い、すぐに眠くなっちゃうときは短めの文章を小刻みに楽しむ、といった単純な理由ですけど。
んで、最近はエッセイ集なんかが平積みになっているという状態。
新年度が始まり、いろいろと仕事が忙しいいまの時期の必需品は、とにもかくにも本。
っていうか、本が無いと、寝床に入ってからいろいろと仕事に関する不安やなんかが頭の中をぐるぐると巡って、まことに精神衛生上よろしくない。
本さえ読んでいれば、そんな余計なことに思いを巡らすことも無く、速やかに眠りにオチますから。
寺山修司
最近ハマっているのが青森県が生んだ鬼才、寺山修司さん。美術家の横尾忠則さんが装丁、構成を手がけた≪書を捨てよ、町へ出よう≫は、帯付のものを入手するのに随分苦労しました(笑)
映画関連本
映画関連本は眠れぬ夜の必須アイテム。

読むのは、ほとんどが古本。
真新しい本は雑誌やムック系で、それ以外は小説にしろエッセイ集にしろ古本が多い。
「誰が読んだかも分からない古本はちょっと・・・ましてや寝床にそんな本を持ち込むなんてあり得ないでしょ」なんてひともいるようですが、私はまったく気になりません。
むしろ、“この本の持ち主はどんなひとだったんだろう”なんて思いが、読書の最中に時折脳裏を過ったりなんかして・・・最近じゃあそれも読書のひと味になってたりします。
稀覯本なんかだと、カバーや帯を破かないように慎重にそろりそろりとページをめくったり・・・だったら寝床なんかじゃなくて、ちゃんとした姿勢、環境で読めよ!って話なんですが、そんな面倒くささまで含めて、それが私の本との付き合い方だったりするのです。

最近は本屋さんも経営が大変なようですね。
やっぱり世は“本離れ”が進んでいますから。
タブレット端末なんかで読書しているひとを時折見かけますが、私のような昭和生まれのオヤジにしてみればやっぱり何かが違うのです。
それが何かは上手く表現できないのですが、本は装丁も含めてひとつの作品ですし、読書はページをめくるときの紙の質感やインクの香り、読み進めていくうちに自分の手に覚える読了の予感といった体感等々をも楽しむ行為だと認識している私にしてみれば、それらを効率的に端折ったものはまずもって受け入れがたいわけです。
そして、文章に限らず音楽や映像などのすべての創造物には、やがては朽ち果てる危うさや儚さがあるべきだ、とちょっと歪んだ考えの私には、背ワレや変色などの心配も皆無な≪本≫を愛でることなど到底できないのです。
寺山修司

【今週のオマケ】
青森市内の本屋さんで見かけて、思わず「これ必要なくなったら貰えますか・・・?」と無心しちゃった≪シン・ゴジラ≫の立て看板。自家用車(軽自動車)に積み込んで家に持ち帰りましたが、なんと約2メートルのデカさ。「よく軽自動車で持ち帰れたなぁ・・・」と我ながら驚きました(笑)。に、しても、快く「どうぞ、差し上げますよ」って言ってくれた本屋さんに感謝。やっぱり地元の本屋さんは大切にしなくては、ね。
シン・ゴジラ






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