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古書マニア必見の映画(らしい)≪ビブリア古書堂の事件手帖≫を観ました。
映像作品としては少し物足りなさを感じるクオリティーだったものの、これまで古書店のガラスケース越しにしか見たことのない稀覯本の数々が整然と書棚に並んだり、無造作に平積みされてたりする光景はやっぱ垂涎モンでしたね。
鎌倉の古式ゆかしい街並みや、歴史と風格をたたえたビブリア古書堂の佇まいも魅力的です。
ビブリア古書堂
簡単にストーリーを紹介すると・・・
太宰治の最初の小説集で、「死なうと思ってゐた。ことしの正月、よそから着物を一反もらった。お年玉としてである。着物の布地は麻であった。鼠色のこまかい縞目が織りこめられてゐた。これは夏に着る着物であらう。夏まで生きてゐようと思った。」という衝撃的な書き出しで有名な≪晩年≫の初版本を手に入れようとする古書収集家のサイコパスと、その≪晩年≫を所有する古書店オーナーのサスペンスフルな攻防ミステリーといったところでしょうか。
たかが古本と言うなかれ。劇中に登場するのは、昭和11年(太宰治 28歳)、≪砂子屋書房≫から限定500部で出版された≪晩年≫の初版本で、本文用紙の上( 天)の部分がアンカットとなっているもの。読者はこの部分をペーパーナイフなどで切り取って読むという、これまたマニアックなシロモノなわけです。
劇中では、これに加えて太宰治直筆の署名本ときた・・・・
平成7年に京都で開催された古書組合全連大市会に≪晩年≫の帯付、アンカット極美本が出品された際には約300万円で落札されたといいますから、映画の中のお話とは言うものの直筆署名本となると、一体どんだけの価値があるのか・・・あな恐ろしや・・・
晩年 復刻版
太宰治≪晩年≫。本物?・・・まさか。復刻版です(笑)。付属のペーパーナイフでページを切り取りながら読み進めます。

前述したとおり、映画≪ビブリア古書堂の事件手帖≫は、物語的にややご都合主義的な要素があって私としては少し物足りなさを感じたのですが、主演の黒木華さんが魅力的だったのですべて許せちゃうわけです。
この女優さん、本当に素晴らしいです。
今年上半期いち推しのテレビドラマ≪凪のお暇≫や、(私としては)昨年公開の邦画でベスト1だった中島哲也監督作品の≪来る≫での演技力の高さには本当に驚きました。
来る 黒木華
可愛過ぎる≪凪のお暇≫の黒木華さん。

来る 黒木華
ダークサイドに堕ちた≪来る≫の黒木華さん。

失礼な言い方になりますが、和風かつ古風なお顔立ちは、日本の伝統芸能の能で使用されるお面を彷彿させます。
能面は感情を排した顔立ち故にすべての微細な感情表現を可能にする・・・そんな純白のキャンバスに様々な色彩で感情を描く・・・といった印象を黒木華さんの演技には感じるんです。
ややもすると、役者さんの演技において、振り幅の大きいダイレクトな感情表現が好まれる(評価される)きらいがありますが、例えば「白」から「赤」にダイレクトに変化するよりも、「白」から「薄いピンク」、そして徐々に「赤」へと微細なグラデーションを経て移行するような感情表現のほうが圧倒的に演技手法的に難易度が高いように思われます。
≪凪のお暇≫でみせた、「人たらし」な男に翻弄され心がくるくると定まらない虚ろな様や、≪来る≫でみせた徐々に心が荒んでいきながらも母親としてのアイデンティティーを保持し続けようと葛藤する様には、深層的に微細に変化する感情の“グラデーション”が巧みに表現されていて、他の追随を許さない“凄み”を感じましたね。

そういえば、≪来る≫について、以前、本ブログでは澤村伊智さんの原作本について書いたきりで、映画化作品に触れるのを失念しておりました。(笑)
来る
中島哲也監督作品≪来る≫は、黒沢清監督が定めた定義でいえば、“異界のモノが現世に入り込み、浸食、破壊する”物語であるため、歴とした≪怪奇映画≫なのですが、日本映画的な湿り気のある情感を極力排除した作風や、異界の怪物に対して多種多様な能力を持つ人間が一丸となって立ち向かう展開、荒唐無稽な物語ながら合理性を追求することで死守したリアリティ、そして黒木華さんを筆頭とする魅力的な演者さんたちの見応えのある演技等々を勘案するに、≪シン・ゴジラ≫に近いスタンスで製作された日本映画屈指の≪怪奇映画≫という印象を受けました。

話題を変えて。
先頃、大好きな童話作家、宮澤賢治ゆかりの地を訪ねて盛岡に行って参りました。
宮澤賢治生誕の地である花巻には、過去に何度も足を運んでいますので、今回は盛岡市内、材木町の≪光原社≫です。
盛岡市 光原社
≪光原社≫は大正13年(1924年)、宮澤賢治の生前唯一の童話集≪注文の多い料理店≫を発刊した出版社で、その社名も賢治の手によって名づけられました。
盛岡市 光原社
現在、≪光原社≫は手仕事の一品を集めた工芸品店となっており、周辺には有名な喫茶店≪可否館≫やお洒落なショップが立ち並ぶ小路があります。
盛岡市 材木町

盛岡市 光原社

盛岡市 光原社

盛岡市 材木町

盛岡市 可否舎
≪可否館≫で美味しい珈琲をいただき、周辺の雑貨屋さんなどを巡って、帰りしな材木町のメインストリートを歩いていたら≪村定楽器店≫というお店が・・・普通のCDショップという佇まいなのですが、何か私のアンテナに「ビビッ!」とくるものが・・・
そこで入店してみると、商品棚に並んだDVD、ブルーレイといった映像ソフトがマニアック!
一般的なこのてのショップさんでは置いていないような作品ばかりがずらりと並んだ商品棚は圧巻でした。
イギリスのハマープロダクションなんかの往年のSF・怪奇映画や知名度こそ低いが知る人ぞ知る名作、佳作・・・そしてB級作品のオンパレード・・・お店のご主人のこだわりがぎっしりと詰まったお店でした。
これだから旅先でのサブカル関連のショップ巡りは止められませんね(笑)。
レアDVD
あれこれ迷った挙句、購入したのがこの2作品。伝説のスリラー映画≪バニーレークは行方不明≫とハマープロのSF映画≪怪獣ウラン≫

最近、読んで面白かった書籍のご紹介。
読書
まずは、≪壇蜜日記≫。
壇蜜さんのパブリックイメージである“エロさ”が、自虐性、類まれな人間観察力、そして知性に裏打ちされた鋼(はがね)の“エロさ”であることを思い知らせる一冊です。(なんじゃそりゃ・・・)

≪奇跡の本屋をつくりたい≫は、札幌市の≪くすみ書房≫の店主、久住邦晴さんが同書店の存続のために奮闘する日記形式のノンフィクション。
久住さんは、肺がんを患い、一昨年、66歳で他界しましたが、ちくま学芸文庫などの売れない文庫ばかりを集めた≪売れない文庫フェア≫の創案やブックカフェの併設など、死の直前まで資金繰りを含む書店存続のための対策に四苦八苦する姿が描かれており、胸を打ちます。活字中毒者の身としては、改めて、“印刷物としての書籍”を“地元の書店で購入”することの大切さを痛感しました。

≪セゾン 堤清二が見た未来≫は、最近読んだ書籍のなかでは最高に面白い一冊でした。
1970年代から80年代のサブカルチャーに思い入れのある者にとって堤清二という人物は、寺山修司、横尾忠則、イエローマジックオーケストラなどと同じくらい重要な人物として記憶されています。
堤清二は、≪無印良品≫、≪ロフト≫、≪パルコ≫、≪ファミリーマート≫等々を生み出したセゾングループの代表という顔のほか作家としての顔を持ち、1990年代初頭のバブル経済崩壊までの間、池袋や渋谷などの“街づくり”に主眼を置いた経営戦略を貫きました。
“経済的豊かさよりも文化的豊かさ”を重視するその経営理念により、渋谷はサブカルチャーの発信地となり、80年代を象徴する「東京一は世界一」ということばの基盤にセゾングループが展開する文化事業があったことは間違いありません。
本州最北の地方都市に住む私でさえ、当時のセゾングループの勢力は、≪宝島≫や≪ビックリハウス≫などの雑誌を通じて体感していましたし、渋谷≪WAVE≫が取り扱う先鋭的アーティストのレコード収集や≪無印良品≫に囲まれたハイセンス(死語)な生活を楽しんだ思い出があります。
バブル経済の崩壊とともに経営難に陥ったセゾングループは≪無印良品≫、≪ロフト≫、≪パルコ≫、≪ファミリーマート≫などの解体を図り、これらの経営はセゾングループの手を離れますが、先頃オープンした“新生” パルコが、“オリジナル”パルコ同様に、劇場やミニシアターを内包する文化施設としての要素を併せ持つことはもとより、昨今の若者文化の根底に高額なブランド品よりも低額で質の良い商品を選択する傾向(≪無印良品≫や≪ロフト≫のコンセプト)があることを勘案すると、堤清二の未来を見据えた戦略は今なお脈々と受け継がれているのでしょうね。

最後に・・・最近の古本屋さんでの掘り出し品を。
ところは弘前市の≪小山古書店≫。
床に大量に平積みされた書籍のなかに紛れていたのがイアン・ワトソンの≪オルガスマシン≫。
オルガスマシン
イアン・ワトソンはイギリスの作家ですが、本国イギリスでは、内容のあまりの過激さ故に出版を見送られたといういわくつきの作品が≪オルガスマシン≫なのです。なぜか日本では、世界に先駆けてコアマガジン社から2001年に出版されましたが、現在は絶版(・・・のはず)で、背表紙を見とめたときには「え・・・マジ?」と自分の目を疑った私なのです。(笑)
内容は、男性の性欲を満たすために開発された≪カスタムメイドガール≫を描いたサイバーポルノ。
このての作品では沼正三の≪家畜人ヤプー≫が有名ですが、負けず劣らず過激な一冊です。
オルガスマシン
≪オルガスマシン≫には、なぜか≪カスタムメイドガール≫の過激なグラビアや・・・・
オルガスマシン
美術家の横尾忠則さんのヌードグラビアが・・・・

重ね重ね、これだから、サブカル関連のショップ巡りは止められませんね(笑)。
古書コレクション
我が家の書棚は飽和状態ですけど・・・

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気づけばもう秋。
ワケあって3カ月ほどブログの更新をお休みしてました。
ブログの更新は滞っていたのですが、私自身はこの3カ月間、比較的アクティヴな毎日を送っておりました。
いま流行りのDIYってやつですか・・・慣れない日曜大工に励んだりして、数十年ぶりに真っ黒に日焼けして家族に笑われたりしてます。
あおもりのこの3カ月を振り返ると、6月は太宰治生誕110年の関連イベントが太宰の生まれ故郷、五所川原市金木町などで開催され県内外の太宰ファンで賑わいましたね。
太宰治
太宰治
6月と太宰治の関連性は、太宰の誕生日は6月19日で、昭和23年の同日(!)に玉川上水で入水自殺した太宰の遺体が発見されたことから、この日を太宰の小説≪桜桃≫に因んで≪桜桃忌≫と呼んでいるというわけです。
私も数十年ぶりに同町の≪斜陽館≫を見学して参りました。
斜陽館
言うまでも無く≪斜陽館≫は太宰治の生家で、太宰の父親である明治の大地主、津島源右衛門が建築した入母屋造りの建物です。戦後、津島家が手放した≪斜陽館≫はしばらく旅館として利用されましたが、現在は同町の観光施設として運営されています。
和洋折衷、荘厳な造りの建物ですが、太宰自身はこの家を、『父は、ひどく大きい家を建てた。風情も何も無い、ただ大きいのである。』と作品中で書いており、当時、貧しい農家が多い環境のなかに不釣り合いに大きく鎮座する我が家を富や権力のネガティヴな象徴と捉え、彼の人格形成に少なからず影響を与えたモニュメントのような意味合いもある建物です。
斜陽館
斜陽館
斜陽館
斜陽館
斜陽館
≪斜陽館≫内の売店で自分へのお土産に≪津軽≫の装丁まんまのノートと缶バッジを購入しました。
斜陽館
太宰治の初版本コレクションです。私のベストは≪津軽≫です。登場する土地が身近なところばかりで愛着が持てますし、太宰のユーモアセンスが愛おしい。
太宰治

7月は、私的には大事件だったのですが、2009年に急逝したロックバンド≪フジファブリック≫のフロントマン、志村正彦さんの関連商品が続々とリリースされました。
特に2009年にリリースされた≪CHRONICLE≫の楽曲をメインにしたツアー映像が商品化されたのが嬉しくて嬉しくて。
7月10日が志村さんの誕生日であり、亡くなってから10年という節目もあっての企画だと思いますが、まさか、生前最後のライヴ映像までも観れる日が来るとは思わなかった。
フジファブリック
赤い大きなBOXが7月に発売された≪FABBOXⅢ≫。白い箱は過去に販売された≪FABBOX≫のⅠとⅡ。

併せて生前、志村さんが熱望していたという人気音楽番組≪ミュージック・ステーション≫への≪フジファブリック≫初出演の夢も叶い、披露されたのが作詞、作曲ともに志村さんが手がけた名曲≪若者のすべて≫となれば、もうファンとしては歓喜の涙が絶えることのない7月だったわけです。

志村さんが眠る山梨県富士吉田市、太宰治が眠る東京三鷹市≪禅林寺≫、寺山修司が眠る≪高尾霊園≫は一度、訪れてみたいと常々思っています。(・・・にしても、あおもり出身の太宰、寺山の御墓が青森県内に無いというのはとても残念ですね・・・)

で、8月のあおもりと言えば、言うまでも無く≪ねぶた祭り≫なんですが、アニメファンたちで大きく盛り上がったのは≪エヴァンゲリオン展≫でしたね。
エヴァンゲリオンはもとより、アニメ作品への造詣に疎い私ですが、そこは毎朝、楽しく観ているNHKのテレビ小説≪なつぞら≫からの付け焼刃なアニメ作品制作のプロセスを予備知識にこの特別展を楽しんで参りました(笑)。
エヴァンゲリオン展
エヴァンゲリオン展
≪エヴァンゲリオン≫ねぶたも会場に展示されました。(ちょっとメタボ体型のエヴァですが・・・)
エヴァンゲリオン展
この特別展、全国主要都市ではかなり前に開催された企画の巡回ですからとりわけ目新しさはないのでしょうが、青森会場ならではの限定商品がとにかくユニークで、物販コーナーは大賑わいでしたね。
特に人気が高かったのが、エヴァンゲリオンの登場人物の名セリフを津軽弁にアレンジした缶バッジ。
入荷とともに即完売で、私も入手できませんでした(泣)。

エヴァンゲリオン展
青森会場限定の≪エヴァンゲリオン≫カラー仕様≪金魚ねぷた≫はゲット出来ました。
エヴァンゲリオン展

まあ、この3カ月間の私的なニューストピックスをまとめるとこんな感じかな。

相変わらず、重度の活字中毒者の私は本を買いまくりーの、読みまくりーのな状況なのですが、最近、ずば抜けて面白かった本が≪戦後最大の偽書事件 東日流(つがる)外三郡誌≫ですね。
東日流外三郡誌
≪東日流外三郡誌≫は、青森県五所川原市在住の和田喜八郎(故人)が、自宅改築中に「天井裏から落ちてきた」古文書として1970年代に登場し、数百冊にのぼるとされるその膨大な文書は、古代の津軽地方にはヤマト王権から弾圧された民族の文明が栄えていたと主張しています。
が、しかし、これらの古文書をはじめとする関連資料はねつ造された可能性が高く、これらを新しい学説として支持する者と真実を追求する者の長年にわたる闘いが描かれたノンフィクションが≪戦後最大の偽書事件 東日流(つがる)外三郡誌≫です。
私も東北人として、大和朝廷に対抗した豪族が津軽を中心とした東北に存在したという歴史には胸躍るものがあります。
やはり日本建立の歴史は西日本中心でしか明らかにされていませんし、古くから何かと軽視されがちな東北地方の文化や政治といった歴史を思うと、この学説は自分たちのアイデンティティーに訴えかける強い力をもっていることも否めません。
このねつ造事件の背景には、こういった東北人特有の己の存在意義への切実な追求心があるようにも思えます。

最後に恒例の映画ポスターコレクションを。
SF映画ポスター
≪ミクロの決死圏≫は初上映時(1966年)のものです。
何度もリバイバル上映されている本作ですが、恐らく、初上映時のポスターは右下にクローズアップされた目に着色が入っている
かと。
≪アンドロメダ≫も大好きなSF映画。原作は≪ジュラシック・パーク≫、≪ウエスト・ワールド≫などの代表作を手がけたマイケル・クライトン。宇宙から飛来した病原菌と科学者の闘いを描いた知的なSF作品です。

気がつけば、もう10月も中盤。
2ヵ月もブログの更新が滞っておりました。
この2ヶ月、仕事、プライベートともにイロイロとありまして少しばかりお疲れモードの私ではあります。

話題の映画・・・ってもうピークは過ぎちゃったのかな・・・≪カメラを止めるな!≫観ました。
カメラを止めるな!
前半30分のゾンビとの死闘の件で“何これ・・・だ、騙された・・・”とウンザリしていたら・・・なるほどね。
後半部分でグダグダなワンカット撮影の謎が解き明かされ、終いには、何てことのないシーンで“ホロリ”とまでさせられる・・・監督の上田慎一郎さんはなかなかの手練れとお見受けいたしました。
でも、話題作として期待しすぎたせいかな・・・かつて≪カメラを止めるな!≫と同じインディペンデントムービーとして上映され、社会現象にまでなった≪ブレア・ウィッチ・プロジェクト≫ほどの衝撃はなかったかな。
ブレア・ウイッチ・プロジェクト
≪ブレア・ウィッチ・プロジェクト≫はその後、たくさんの亜流作品を生み出すほどインパクト絶大な最恐ホラームービーでしたから。

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今月の初旬、大きな仕事を終えて腑抜けになった私は、心を奮い立たせるためにも前々から検討していた三陸の旅を決行しました。たかが旅行・・・されど三陸の旅・・・≪東日本大震災≫の被災地を巡ることが目的ですので、それなりの覚悟が必要だったわけです。
震災前は時々訪れていた岩手県、宮城県の太平洋沿岸の街々も、震災後は心が折れそうで一度も足を運んでいませんでした。
とは言え、あの日から7年以上が過ぎ、復興が進んでいるであろう街々を見てみたい・・・そして、自分に出来ることなんてたかが知れているけど地元にお金を落とすくらいの支援はできるだろう、と家族とともに訪れたというわけです。
旅行初日、昨年の北海道旅行同様に台風が接近する中、高速道路を利用しておよそ5時間で気仙沼に到着。
気仙沼は、2009年の家族旅行以来ですので、9年ぶりです。
震災の際には、津波と火災により1,350人以上の方々が亡くなられ、壊滅的な被害を被った気仙沼ですが、思った以上に復興は進んでいました。
海鮮市場やシャークミュージアム、氷の水族館などの観光施設もリニューアルされ、風光明媚な街並みも2009年に見た景色と遜色のない印象を受けました。
気仙沼
気仙沼漁港
気仙沼 シャークミュージアム
震災後、リニューアルされたシャークミュージアム。
気仙沼 シャークミュージアム
気仙沼 シャークミュージアム
気仙沼 シャークミュージアム
気仙沼 氷の水族館
氷の水族館。防寒服を着用してマイナス20度の世界を体験します。

気仙沼で昼食を摂り、建設途中故に通行料無料の高速道路≪三陸自動車道≫を利用して石巻市に移動。
石巻市は震災の年の2011年以来ですので、7年ぶりの訪問となります。
石巻市内をドライブした後、≪石ノ森萬画館≫へ。
≪石ノ森萬画館≫は言うまでも無く、≪サイボーグ009≫や≪仮面ライダー≫などを生み出した漫画家、石ノ森章太郎の記念館です。旧北上川の河口に近い中州にあるため、川を遡ってきた高さ5メートルの津波にのみ込まれ、甚大な被害を被りましたが、震災の翌年には営業を再開しました。
石ノ森萬画館
震災直後の≪石ノ森萬画館≫
石ノ森萬画館
頭の無い≪ロボコン≫が悲しい・・・
石ノ森萬画館
≪石ノ森萬画館≫は、≪仮面ライダー≫や≪人造人間キカイダー≫など、石ノ森作品の代表キャラクターを多数展示。
石ノ森萬画館
石ノ森萬画館
石ノ森萬画館
石ノ森萬画館
家族で≪石ノ森萬画館≫を訪れるのは2009年以来ですので、いまは成人した息子たちも当時のことを想いだしたのか、感慨深く観覧していましたね。

宿泊は、南三陸町志津川の≪南三陸 ホテル観洋≫。
南三陸 ホテル観洋
リーズナブルなお値段で、南三陸町の海が見渡せる宿泊部屋や露天風呂を堪能でき、食事も豪華。
早起きして見た、日の出の神秘的な美しさは生涯忘れることはありません。
南三陸 ホテル観洋
南三陸 ホテル観洋
旅行2日目は、南三陸町の≪さんさん商店街≫へ。
さんさん商店街
震災後、仮設商店街としてオープンした≪さんさん商店街≫は、三陸の魚介やスイーツなどの美味しいものを取り扱うお店が軒を連ねる観光商店街。
その≪さんさん商店街≫に近い八幡川のほとりに、あの日、多くの役場職員が犠牲になった≪南三陸町防災庁舎≫があります。
死の直前まで防災無線で町民に避難を呼びかけた役場職員のエピソードは、≪東日本大震災≫にかかる数あるエピソードのなかでもとりわけ胸を打つものとして記憶しています。
南三陸町 防災庁舎
それにして、屋上に避難した人々をのみ込むほどの津波って・・・・想像できません。

帰路は、高速道路を利用せず、宮古市や野田村などの被災地を訪ねましたが、最も衝撃的だったのが、陸前高田市。
他の被災地と比較しても、今なお数多くの震災遺構が保存されている陸前高田市ですが、復興途中の重機が慌ただしく稼働しているも、かつて住宅が立ち並んでいたであろう太平洋沿岸は広大な更地と化し、その向こうにいまや伝説化した≪奇跡の一本松≫がポツネンと見える異様とも言える光景に、車中の家族全員が言葉を失ってしまいましたね。
奇跡の一本松
今回、≪東日本大震災≫の被災地を巡って痛感したのは、“この悲劇は他人ごとではない”ということ。
僅か200~300キロ、車で走った場所にある信じがたい現実の“地続き感”は、実際にその地を訪れないと得られないものでした。ですが、目の当たりにした被災地で感じ取った諸々は私の心のキャパシティには収まりきらず、ただただ理不尽に人生を終えた人たちの鎮魂を祈り、かけがえのない多くを失ったその地で、ひたすら懸命に生活する人たちを思い続けるばかりなのです。
ゴールデンウィークも後半です。
連休前半は天候にも恵まれましたので、≪観桜会≫100周年に沸く弘前公園に行って参りました。
弘前桜まつり
弘前桜まつり
≪観桜会≫って言葉、いまの若いひとには馴染みのない言葉でしょうね。
今じゃあ誰もそんな言葉使いませんが、私たちが子どもの頃は、桜まつりのことを≪観桜会≫と言ったものです。
もっとも父親に『来週、≪カンウォーカイ≫行くぞ!』と言われたところで、子どもの頃の私には“・・・≪カンウォーカイ≫ってなに・・・?”だったんですけど(笑)。
≪カンウォーカイ≫を文字にすると≪観桜会≫だと知ったのは、かなり年齢を重ねてからですね。
弘前桜まつり

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先日、NHKの≪ファミリーヒストリー≫という番組でミュージシャンの坂本龍一さんの家系を取り上げましたが、坂本龍一さんのお父上、一亀(かずき)さんのエピソードに驚きました。
龍一さんのお父上は出版社の仕事を通じて新人作家の発掘に努め、昭和20年代当時、大蔵省の官僚をしながら執筆活動をしていた三島由紀夫に≪假面の告白≫を書かせ、文壇デビューさせるなど、日本文学界に多大な貢献をした方だったのです。
そう言えば、1912年に沈没したタイタニック号の日本人唯一の生存者が、やはりミュージシャンの細野晴臣さんのお祖父様ですし、イエローマジックオーケストラって家系的にも凄いメンバーで構成されてたバンドだったんだな、と妙に感動しちゃいました。

三島由紀夫
≪假面の告白≫の初版本には、確かに編集者名として坂本一亀の御名前が。
三島由紀夫

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本日5月4日は、あおもりが生んだ鬼才、寺山修司の命日です。
寺山修司
寺山が中学1年まで過ごし、現在、≪寺山修司記念館≫がある三沢市では、没後35年の≪修司忌≫での献花や様々な企画のイベントが行われたようですね。
寺山修司
寺山修司記念館(三沢市三沢字淋代平116-2955)

寺山修司は、1983年、47歳でその人生に幕を引くまで、詩、短歌、俳句、小説、テレビドラマの脚本などの執筆のほか、歌謡曲の作詞、演劇や映画の製作等々、ジャンルを超越した創作活動を目まぐるしく展開し昭和の時代を駆け抜けたマルチクリエーター。
あまりにも多くのジャンルにわたる作品を遺したため、寺山修司ワールドへの“入り口”はたくさんありますが、ファンの多くは詩や短歌、演劇あたりから入って、どんどん寺山修司ワールドの深みにハマってしまった、というひとが多いようです。
実は私が寺山修司にハマったのはここ2年ほど前から。
それまでは全く興味が無かった・・・というより、正直あまり好きじゃなかった。
津軽弁の訛りを隠そうともせずに難解な言葉を早口に捲し立てる生前の取材映像や見世物小屋のオドロオドロシイ世界観で構築された演劇作品のイメージが先行して“これは自分の趣味じゃないな”と。
そんな私の寺山修司ワールドの“入り口”となったのはグラフィックアート。
寺山が主宰した劇団≪天井桟敷≫の上演ポスターや彼の出版物のグラフィックデザインに魅了されたんです。
1960年代から70年代辺りの寺山の周辺には、横尾忠則をはじめ、宇野亜喜良や和田誠、粟津潔等々の優れたグラフィックデザイナーがいて、純粋にそういった方々が手掛ける装丁本が欲しくて寺山修司の書籍などを買い集めたのがきっかけですから、寺山修司自身の作品に魅了されたというわけではないのです。
寺山修司
横尾忠則さんが手がけた≪天井桟敷≫関連のポスター
寺山修司 宇野亜喜良
宇野亜喜良さんの作品集と寺山修司著作≪絵本・千一夜物語≫の装丁
寺山修司
寺山の映画作品≪田園に死す≫のポスター

寺山に対する私の最初の興味は、あまりにトリッキーなその人物像です。
自伝本≪誰か故郷を想はざる≫に書かれたフェイクな生い立ちや、数ある有名作品の模倣、自らの作品のリブートなど、とかく寺山の人格や作品に対する批判として語られる事柄の数々が妙に新鮮に感じられた、というか、それこそがサブカルチャーの存在意義に貪欲だった≪昭和≫という時代を象徴しているようにさえ思えたんですね。
1996年に出版されたノンフィクション・ライター、田澤拓也さんの≪虚人 寺山修司伝≫などの書籍では、そういった寺山の人格や作品が厳しく批判されているのですが、私は人間の記憶なんてものは例外なく自分に都合の好いように加工されるものだと思うし、そのことを前提として、面白味に欠く己の人生をフェイクで塗り固める作家性みたいなものは、受け手として純粋に楽しんじゃえば良い、というスタンスですね。
有名作品の模倣だって、山下達郎の≪クリスマス・イヴ≫がクラッシックの名曲、パッヘルベルの≪カノン≫コードの流用だからダメとか、アンディ・ウォーホルのシルク・スクリーン作品はマリリン・モンローの既存のポートレイトに着色しただけだからダメとか、何だったら、いま時のロックミュージックは既成曲をサンプリングしてるからオリジナリティの欠片も無いなんて、言うだけ無粋なだけで・・・それらの作品に芸術作品の一点主義にもとづく神格化や “オリジナリティとは何ぞや?”、といった問題提起が通底しているのであれば、それらは表現手法のひとつの“カタチ”と考えてもいいのかな・・・なんて。
寺山修司
寺山の作品のなかでも“奇書”と言われる≪地獄篇 限定版≫は、1970年7月、思潮社から限定500部で発行。
限定版の仕様は、函入で、蝋燭・火縄・押し花・粟津潔木版画封入。寺山の直筆署名入り

そういう意味合いも含めて、『職業は寺山修司です』と嘯き、生涯トリックスターを演じ、有名作品のリミックスや自らの作品のリブートを嬉々としてやり続け、観客参加型の演劇やらメディアミックス的手法やら、次々と奇抜なアイディアに満ちた創作活動をやり続けた寺山修司は、戦後の急激な経済的発展や諸外国との関係性に翻弄される日本人のこころの拠りどころとなったサブカルチャーの発展に貢献した、≪昭和≫の時代を象徴する文化人の一人であることは否定できないと思います。
そして没後35年を経てなお、寺山が生みだした数々の作品は色褪せないどころか、先頃も菅田将暉主演で映画化された≪あゝ荒野≫を例にとるまでもなく、21世紀を生きる現代人のこころの渇望を刺激し続ける稀有なクリエイターなんだと思います。
寺山修司



久しぶりに映画館で観たのが≪ダンケルク≫。
今年の上映作品のなかではダントツの期待作です。
ダンケルク
迫力ありましたね~モノホンの戦闘機。
監督のクリストファー・ノーランはCGに頼らない映像づくりに拘ったとのことで、本作に登場する戦闘機も実機を飛ばして撮影したというからミリタリーマニアにはたまらない。
ドイツ軍のメッサーシュミットとイギリス軍のスピットファイヤーの実機による空中戦を観れるだけでも入場料払った価値があるというものです。
昭和 写真で見る世界シリーズ
秋田書店の≪写真で見る世界シリーズ≫は、子どもの頃の愛読書。戦車や戦闘機を好きになったのはその影響か?
ダンケルク
作品としては意図的にドラマティックな演出を避け、史実に忠実に仕上げたドキュメンタリータッチという印象でした。
そういう意味では、スティーブン・スピルバーグ監督の≪プライベートライアン≫以降の戦争映画のスタイルを踏襲しているわけですが、≪プライベートライアン≫が人の無残な死も含めて圧倒的リアリティーで戦争を描いたのに対して、≪ダンケルク≫は人の直接的な死の描写を避けてあるためか、鑑賞後の後味は割合あっさりしています。
ただ私としては、作風はリアリティー志向なのに、兵士の直接的な死が描かれないというアンバランスさに少し違和感を覚えましたね。≪プライベートライアン≫に負けじとドラマ性を排除し、陰惨な戦闘シーンと兵士の死の描写で貫き通したリドリー・スコット監督の≪ブラックホーク・ダウン≫はやり過ぎだとしても、世界情勢が緊迫している昨今だからこそ戦争が生む不条理、理不尽な悲劇は容赦なく描くべきだと思いますし。

しばらく家族で旅行してないな・・・ってことで、家族会議を経て北海道旅行の敢行を決定。
青森から函館までは新幹線を利用し、函館からはレンタカーで札幌、小樽という旅程となりました。
だが、しかし・・・日本列島を襲撃した台風18号・・・私たちは台風とともに北上するハメに・・・
初日はまだ台風も本州にいたため、函館からはレンタカーで難なくスタート。
札幌までは、高速道路を使わず、途中、道の駅で休憩を挟みながらひたすら一般道を走り続けること250キロ。
時間にして約5時間と、ドライバーにしてみればしんどいのですが、函館、札幌間は高速を利用すると300キロと遠回りになり、所要時間はあまり変わらないのだそうです。
到着した札幌も天候は穏やかでしたね。
さっぽろビール園
さっぽろビール園で美味しいビールとジンギスカンを堪能し・・・
札幌 時計台
時計台や大通公園のテレビ塔からの夜景を楽しむ、というお決まりの観光コースを楽しみました。

二日目。
札幌にも徐々に台風の影響が・・・
断続的な雨と強風を避け、主に地下鉄や地下商店街を利用しての移動となりました。
札幌 まんだらけ
≪まんだらけ≫の札幌店を訪ねて≪ノルベサ≫へ。
ここの屋上には観覧車があるのですが、乗ったことを後悔するほどに怖い観覧車でしたね。高さが半端なく、身じろぎひとつ出来なかった(笑)。
夜の札幌
≪まんだらけ≫で買い物した後は、夜のすすきのを散歩し、有名店≪すみれ≫の味噌ラーメンをいただきました。
札幌 味噌ラーメン すみれ
何やら空模様も怪しくなってきました。
明日は小樽に移動です。
夜の札幌
小樽への移動途中で≪白い恋人パーク≫に寄り道。
白い恋人パーク
白い恋人パーク
ここにはアンティークコレクションの展示施設があり、見応えのある展示物がズラリ。
白い恋人パーク
アンティークコレクションの入場口に鎮座するロボットライダー(?)
展示物のほんの一部をご紹介。
白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク

白い恋人パーク
テレビ東京≪お宝鑑定団≫で500万円の鑑定額がついた≪軍艦 鹿島≫のブリキのオモチャやベッカムのユニフォームなどなど、コレクションに幅があり過ぎます。
これって≪白い恋人≫の社長さんのコレクションなんでしょうか?

小樽に到着したあたりから天候は大荒れ。
横殴りの雨と強風のなかでの観光となりました。
小樽
まあ、雨の小樽も風情があって良かったですね。
しっかり美味しいお寿司をいただき、今夜の宿泊先の定山渓に移動。
北海道
まるで、スロットカーのレーシングコースのような道路を走って定山渓に向かいます。

いよいよ北海道旅行も終盤。
函館までの帰り道。途中、洞爺湖に寄り道したら、なんかみたことのあるオートバイが・・・
洞爺湖
最近、実写化もされた≪銀魂≫に登場するオートバイが駐車したお店は≪越後屋≫、アニメグッズなんかを取りそろえたお土産屋さんでした。

まあ、そんなわけで3泊4日の北海道旅行を終えたわけです。
結果として思ったのは、やっぱりレンタカー移動にして良かったな、ということ。
もちろん旅行は予め計画を立てて行きますが、天候や旅行先で仕入れた情報で計画を変更するなんてことはままあります。
そんなときに移動手段が自動車だと容易く変更が可能ですし、移動途中で思いがけず観光施設に出くわすなんてこともありますから。
事実、≪白い恋人パーク≫は当初の計画には無くて、小樽への移動途中で、「なんだ?あれ」ってな感じで行ってみたら、私の趣味に“どストライク”なところだったわけです。
私も、年齢が年齢ですから長距離運転はツラくなってきているのですが、運転に支障が出るまでは高齢者ドライバーと揶揄されようとも、頑張っていろんなところをドライブしたいな、と改めて思った旅行でもありました。



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