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マーベルにしろDCにしろアメリカンコミックの映画化作品には食傷気味の私。
アベンジャーズシリーズも、数多のヒーローが集結し物語が壮大になるにつれ気持ちも萎えちゃって・・・近頃はすっかりごぶさたなわけです(笑)。
そんな私ですが、現在公開中の≪ジョーカー≫には、何か一連のアメリカンコミックスの映画化作品とは異質なものを感じ、早々と劇場に足を運んだというわけ。
ジョーカー
数多の芸能人、著名人等がそのクオリティーを絶賛する一方で、現実社会における犯罪助長の影響力が懸念された≪ジョーカー≫ですが・・・・確かに。素晴らしいクオリティー。そして凄まじい作品でした。
言うまでも無く≪ジョーカー≫は、≪バットマン≫シリーズのスピンオフ作品ですので、後にバットマンとしてゴッサムシティの治安を守る(幼少時の)ブルース・ウェインとの邂逅や、バットマン(=ウェイン家)に対する宿痾(しゅくあ)とも言える憎悪に言及しますが、そんな辻褄合わせがどうでも良くなるほどに自立し、完結した優れた作品だと感じました。
本作の映画評なんかでは、もともとは善良で小心者の大道芸人アーサーフレックが犯罪に手を染めざる得なくなったその悲劇性が強調されているようですが、私は寧ろ、たび重なる不運の連鎖を糧に稀代の犯罪者としての資質に開眼していくという19世紀イタリアの犯罪人類学者ロンブローゾが提唱した≪生来性犯罪者説≫とか、“親殺し”により成立する、アイデンティティや未来への指針といったフロイトが提唱したエディプスコンプレックスなど、時代錯誤故に妙に禍々しく背筋を逆なでする“引用”にしてやられた感がありましたね。
ネタバレになるから多くは書けませんが、間違いなく本作はバイオレンス映画の名作≪タクシードライバー≫の影響下にあり、監督のトッド・フィリップスは、(本作のクライマックスでもある)ロバート・デ・ニーロ(トラヴィス)とホアキン・フェニックス(アーサー)が対峙するシーンが撮りたくて堪らなかったんじゃないでしょうか(笑)。
そしてそのシーンで描かれるトラヴィスとアーサーのダークヒーロー(世代)交代劇に、監督自身のエディプスコンプレックスを読み取るのは深読みし過ぎなのかな。
にしても、その表現手法の秀逸さに思わず唸っちゃったのがエンディングですね。
収監された精神病棟内を逃げ回るジョーカーを看守が追いまわすシーン。
まるでスラップスティツクコメディーのようにバタバタと廊下を右往左往するジョーカーと看守の姿は、まるで≪トム&ジェリー≫。
『人生は悲劇?それとも喜劇?』
その自問自答に確固たる回答を得たジョーカーを体現した秀逸なエンディングだったと思います。

今月は、もう一作品。
クエンティン・タランティーノ監督の≪ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド≫も観ました。
ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド
≪ジョーカー≫に負けず劣らず・・・っていうか、あちらは登場人物の妄想劇でしたが、こちらは監督自身の妄想がてんこ盛りの作品(笑)でした。
にしても、タランティーノらしくないと言うか・・・やたらと理屈っぽく簡単に投げ飛ばされるブルース・リーや愚痴をこぼしてばっかりのスティーブ・マックイーンなんて、以前のタラちゃんだったら決して描かなかったような・・・何があったタラちゃん!
『映画って本来“神の視点(三人称)”で描かれるものじゃん。だから監督って神様そのものじゃん』って思ったかどうかはともかく、猟奇犯罪によって非業の死を遂げたシャロン・テートの命も救っちゃうタラちゃんの“上から目線”がなんか気になる作品ではありました。

映画の話題はここまで。
最近、読んだ本でお勧めなのはこの三冊。
蔵書
ムック≪危険な読書≫は、≪ブルータス≫の特別編集号で、様々な視点による書籍紹介がされていて書籍マニアにはお勧めの一冊。
≪孤客≫は以前、本ブログで紹介した怪奇幻想まんが≪人間時計≫の作者、徳南晴一郎氏の自伝本。生真面目を超越した偏執性に恐れを抱きながらも妙な感動が・・・
≪みちのくの人形たち≫は映画化された≪楢山節考≫の原作者、深沢七郎の短編集で、表題作は東北の寒村に伝わる風習が哀しく恐ろしい。

最後は、以前から欲しくてたまらなかったクロニクル社の≪ケイン≫。
ケイン
≪ケイン≫は、SFバイオレンス映画≪ロボコップ2≫に登場するロボットで、これまでに立体化された商品としては、ガレージキットと食玩のみ。
劇中の≪ケイン≫を造形、モデルアニメートしたフィル・ティペットの監修により、数年前、米国クロニクル社が決定版ともいえるフィギュアを発売しましたが、高額に加えて世界限定1000体故に入手は諦めていました。
それがこの度、ご縁があり、正規販売価格よりは相当安価で我が家に。
当初期待した金属製ではなかったのが残念ですが、重量感、存在感ともに申し分無く、台座にはフィル・ティペットのサインが。
家宝として珍重したい逸品です。








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5月31日に全米と日本の同時公開でお披露目されたレジェンダリー・ピクチャーズ製作の≪ゴジラ キング・オブ・モンスターズ≫が好調な興行成績のようで嬉しい限りです。
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
私も公開初日に観て参りました。
made in japanの怪獣映画を同一世界観のクロスオーバー作品として描くシリーズの第2段となるわけですが、前作≪ゴジラ GODZILLA≫は、(私的には)面白かったのですが、何かしっくりこない印象を受けたのも事実。
敵対する怪獣ムートー中心に物語が進行するため肝心のゴジラの存在感がいまひとつだったりとか、怪獣映画の名作≪ガメラ2 レギオン襲来≫をベースにしたであろうストーリー展開にも新味がないとか・・・
続編の≪ゴジラ キング・オブ・モンスターズ≫には、キングギドラ、モスラ、ラドンといった東宝怪獣映画のスタメンが勢揃いするらしいという前情報にも、1954年公開の初代≪ゴジラ≫や2016年公開の≪シン・ゴジラ≫をゴジラ映画の二大最高傑作と信じて疑わない私にしてみれば、「レジェンダリー・ピクチャーズ版ゴジラも結局はお子ちゃま路線に行っちゃうってことでしょ・・・」と正直がっかりしていたわけです。
・・・が、しかし≪ゴジラ キング・オブ・モンスターズ≫は面白かった。それも底抜けに。
なぜか突然に、次々と怪獣が地球上に現れる原因こそ、やっぱり平成ガメラシリーズの論理を踏襲して辻褄合わせをしているのだけれど、そういった理屈っぽい台詞主体のシーンを極力排除し、対戦型怪獣映画のスぺクタキュラーな見せ場の目白押しで全編を貫いた製作姿勢は大正解だったと思います。
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
往年の怪獣映画ファンの涙腺を刺激する過去作品へのオマージュも満載。
初代ゴジラを葬った新型化学兵器≪オキシジェン・デストロイヤー≫も登場するし、1956年公開の≪空の大怪獣ラドン≫で阿蘇山の噴火火口に散ったラドンはメキシコの火山口から溶岩にまみれて登場!
そして、モスラが羽化するシーンでは、あのザ・ピーナッツが演じ歌ったモスラのテーマソングのフレーズが!
このシーン、子どもの頃の感情が蘇ってきてマジで泣きました。本当に・・・
米軍と怪獣の攻防も迫力満点。ゴジラの後方を雲霞のごとき戦闘機が追従するシーンの格好良さには鳥肌が立ちましたね。
ただちょっとオスプレイを格好良く描き過ぎかな・・・まあ、本作には米軍も協力していることだろうし、日本に対するオスプレイの安全性アピールにはこれとないチャンスだろうが、そこは騙されんぞ・・・なんてね。(苦笑)
そんな映画のプロパガンダの側面はともかく、ハリウッド映画では、人類を救うべく自らの命を犠牲にして見せ場と観客の涙をかっさらっていく美味しい役どころは米国人俳優に与えられるのが常ですが、≪ゴジラ キング・オブ・モンスターズ≫では、前作にも出演したあの日本の名優に委ねられてます。
これぞ、怪獣映画発祥国、日本に対するハリウッドからの最高の敬意と受け取ろうじゃないですか。
(そういえば、メキシコ、中国で産声をあげたラドンとモスラがアメリカで大暴れって何か国際問題を風刺してるような・・・大っきな壁作ったってラドンの入国は防げないし、経済戦争繰り広げているうちにもっと大きな脅威(=キングギドラ)に対峙することになるってことかな?)
ゴジラ キング・オブ・モンスターズ
映画館のガシャポンで入手したゴジラのフィギュアです。≪シン・ゴジラ≫と2種ゲットしました。

あ、そういえば、ゴジラ繋がりでもうひとつ。
先日、秋田県の男鹿半島までドライヴに行って参りました。
男鹿半島
男鹿半島の≪なまはげ≫は、2018年、ユネスコ無形文化遺産に選ばれました。おめでとう!秋田県。

果てしなく眼下に広がる日本海・・・入道崎は絶景なり。
男鹿半島 入道崎

・・・と、不思議な看板を見かけました。
男鹿半島 入道崎
何でも入道崎周辺では頻繁にUFOが目撃されているらしく、お食事処≪みさき会館≫では、出没したUFOの動画が観賞できるのだそうです。
なぜ、宇宙人は男鹿半島を頻繁に訪れているのでしょうか・・・?
恐らくその理由は男鹿半島の有名な観光スポット・・・≪ゴジラ岩≫にあります。
男鹿半島 ゴジラ岩
男鹿半島 ゴジラ岩
手前の岩山にピントを合わせてみると、ゴジラ岩の巨大感と臨場感が増します。
男鹿半島 ゴジラ岩
日本海の荒波や風雪などの自然環境の産物とは言え、正にゴジラ!

入道崎に現れるUFOにはキラアク星人が搭乗しており、ゴジラを特殊な電波で操縦することで世界征服を企んでいるのだ・・・って1968年公開の東宝映画≪怪獣総進撃≫を知らないひとには何のこっちゃですよね(苦笑)。
キラアク星人
小学生の私は≪キラアク星人≫のお姉さん方に何かエロいものを感じていました。(笑)

≪ゴジラ キング・オブ・モンスターズ≫は、世界各国に怪獣が出没したり、特殊な電波で怪獣を操る設定なんかをみると、ベースにしているのは≪怪獣総進撃≫であることは間違いありませんね。

私の最近のコレクション事情を最後に。
映画原作本で新たにコレクションに加わったのはこの5冊。
映画原作本
澁澤龍彦が翻訳したエロティック映画≪O嬢の物語≫の映画化カバー版が入手できたのは嬉しかった。≪モヒカン族の最後≫はマイケル・マン監督作品≪ラスト オブ モヒカン≫(1993年公開)の原作本。

最近、収集に熱が入っている映画ポスターはこの4枚。
映画ポスターコレクション
≪ウエストワールド≫は、最近アメリカでテレビドラマ化もされたマイケル・クライトン原作のSF映画で、このアートデザインが秀逸です。そして≪サンバーン≫は映画自体はつまらないのですが、主演のファラ・フォーセット・メジャースのこのナイスバディに当時の中坊は悩殺されました。
映画ポスターコレクション
B級映画のポスターは大好物。≪大火災≫はアーネスト・ボーグナイン主演のパニック映画。≪グリズリー≫は≪ジョーズ≫の大ヒットにあやかった二匹目のドジョウ狙い映画なんですが、意外と面白かった。これまた著名なイラストレーターが手がけたアートデザインが格好良く、ペプシコーラとのコラボレーションというのも異色です。

いま楽しみな映画といえば、中島哲也監督の最新作≪来る≫かな。
来る
かの≪リング≫をも超えた最恐ホラー小説の映画化というふれこみで話題の映画ですね。
私自身、ホラー小説・・・というより怪奇・幻想小説は大好きなのですが、もっぱら、岡本綺堂や遠藤周作などの少しばかり古い時代の作品にばかり傾倒していて、最近の作品にはとんと疎く、この映画の原作小説のことも全く知りませんでした。
岡本綺堂
岡本綺堂は明治から昭和にかけて活躍した小説家で、数多くの優れた怪談作品を手がけています。
現在怪奇小説集
遠藤周作、山田風太郎、柴田錬三郎などの作家の作品を収録した≪現代怪奇小説集≫。

映画版≪来る≫も、“なんか変なタイトルの映画だな・・・”くらいにしか思っていなかったんですが、先日、テレビで放送された映画公開記念特番やトレーラーなんかを観て、一気に期待が高まったわけです。
それにしても、中島哲也監督といえば、≪下妻物語≫や≪渇き≫、≪告白≫など、独特な映像表現が特徴的な映像作家ですが、イメージ的にはあまりホラーとは結びつきませんね。
人気コミック≪進撃の巨人≫の映画化のときにも監督として名前があがりましたが、結局実現せず、このての娯楽作品には関心の無い方なのかな、と。
まあ、そんな様々な疑問もあって、この映画の原作小説≪ぼぎわんが、来る≫を読み始めたわけです。
来る
文庫版(映画公開記念仕様版)の≪ぼぎわんが、来る≫は、劇中で松たか子さんが演ずる霊媒師、比賀琴子の名刺風栞付(笑)

いま、3分の2ほど、読み終えたのですが、ちょっと後悔してます。
これは、映画が先だったな・・・まずは映画を観てから、原作を読むべきだったな、と。
原作、面白いです。・・・で、メチャクチャ恐いです。
優れたホラー小説というのは、ページを開くとすぐに何とも形容しがた不穏な気配を放ち、“あ・・・この小説、ヤバいかも・・・”と読者に覚悟を強いるチカラがあるように思えます。
鈴木光司さんの≪リング≫や貴志祐介さんの≪黒い家≫、岩井志麻子さんの≪ぼっけえ、きょうてえ≫などがそうでしたが、澤村伊智さんの≪ぼぎわんが、来る≫も、すぐさま異様な物語の展開に引きずり込まれてしまいましたね。
物語としては、古来から語り継がれる化け物(妖怪?)につけ狙われる家族と、その家族を守り、化け物の正体を付きとめようとする人々の奮闘を描いているのですが、多重構造というのか・・・例えば、あるひとの行動について、それぞれのひとの視点で描くことにより、主観的には善意とする行動が、客観的には醜悪な悪意となる・・・といった、人間のこころの在り方に踏み込んでくる恐さがあります。
ひとつの事件が、加害者、被害者、傍観者など、それぞれ立場が異なる人々の主観的な言葉で語られるとき、誰の言うことが真実なのか分からなくなる、という黒沢明監督の≪羅生門≫という映画がありますが、まさに≪ぼぎわんが、来る≫で描かれるのはそういった人間同士のこころのすれ違い(=スキマ)から生じる悲劇なんです。
先述の映画公開記念特番で、子煩悩なイクメンパパを演じる妻夫木聡さんが、「映画の序盤で見せる登場人物の優しい笑顔が、その後の展開で、まったく違う意味合いの笑顔だったことに気付かされる」といった発言をしていましたが、原作に忠実に映画化されているならば、まさしく、この言葉こそが映画の“キモ”を示唆していると思うし、≪告白≫や≪渇き≫などの作品で、人間の心の闇を描いてきた中島監督がこのホラー小説の映画化を決意した理由でもあるんじゃないかな、と思います。
来る
映画公開前なので、ネタバレにならない程度にネタばらしをすると、原作小説のタイトルは≪ぼぎわんが、来る≫で、映画のタイトルからは“ぼぎわん”という呼称は削り取られていますし、トレーラーなどでは、登場人物の台詞の、この呼称の部分にノイズが入り、聞き取れない演出になっています。
映画本編でも、この呼称にノイズを入れる演出がとられているのかは分かりませんが、化け物に特定の呼称を与えないことで観客の不安感を煽る演出とするならば、それも“アリ”なのかも知れません。中島監督作品らしいと言えばらしいですし。
でも原作小説では、この“ぼぎわん”と言う呼称に重要な意味合いを持たせています。
“ぼぎわん”とは何なのか・・・?
ヒントは、多くのひとが知っているであろう西洋のお化けの呼称・・・かつて日本に海を渡って宣教師とともに上陸した“それ”の呼称が現代に至るまでにカタチを変えて語り継がれたもの・・・

そして映画の登場人物のキャラ設定にも惑わされてはいけませんね、きっと。
来る
先述の、妻夫木聡氏さん演ずる“子煩悩で理想的なイクメンパパ”、黒木華さん演ずる“育児に疲れたお悩みママ”はもとより過激なビジュアルが衝撃的な小松菜奈さん演ずるキャバ嬢霊媒師が実は・・・なんて、思わず涙する場面も原作にはありますし・・・ああヤバいネタばれしちゃいそうだ(笑)。
最も、まだ原作を完読したわけじゃないので、断定的なことは言えませんが、いずれにしても一筋縄ではいかない物語であることは確かです。
来る
とにかく、アンタッチャブル、ザキヤマの「来る~っ」っていうふざけたテレビCMもツボにハマった私としては、12月7日、劇場に駆けつけること間違いないですね。



今回は小説の映画化作品について。
そう言えば、先日観た≪ジュラシックワールド 炎の王国≫も元はマイケル・クライトンのベストセラー小説。
思えば、1993年公開の≪ジュラシックパーク≫はホント衝撃的な映画でした。
太古の恐竜を現代に復活させるという荒唐無稽な物語を、遺伝子工学を駆使して実現するという説得力もさることながら、当時、まだ発展途上にあったコンピュータグラフィックで表現された恐竜のリアリティはホンモノと見間違うほど。
映画館で何度も感動の声を漏らしたのを憶えています。
その後、シリーズ化された本作は、3作品製作された後、タイトルを≪ジュラシックワールド≫と改名。
≪ジュラシックワールド 炎の王国≫は新シリーズの2作目となります。
恐竜に関する学説の更新をいち早くとり入れることで有名な本シリーズですが、≪ジュラシックワールド 炎の王国≫に登場する新恐竜インドミナス・レックスの後頭部には僅かながら羽毛のようなものが・・・
ジュラシックワールド 炎の王国
インドミナス・レックスの後頭部にそよぐ羽毛・・・

これは中国で発掘された肉食恐竜の化石に羽毛のようなものが認められたことによるものらしいですね。
でも、体毛フサフサのティラノサウルスって・・・・ちょっとイメージダウンです。

昭和の文豪、三島由紀夫がSF的アプローチによる人間描写に挑んだ異色小説≪美しい星≫もようやく映画化されましたね。
かつて、YMOの細野晴臣さんが「映画化したい」と公言していた本作の映画化を実現したのは、≪桐島、部活やめるってよ≫、≪紙の月≫を手がけた吉田大八監督。
美しい星
三島文学を愛するひとにしてみれば、満を持しての映画化ということなのですが、観賞後は何か複雑な気持ちにさせられる作品に仕上がっているのではないでしょうか。

小説≪美しい星≫は、“自分は宇宙人だ”と信じている家族の物語で、父親は火星人、母親は木星人、長男は水星人、長女は金星人であると信じているがために起きる社会との摩擦やさまざまな事件との関わりを通じて人間の本質、存在意義に肉迫する寓話的作品と言えます。
美しい星
正直、物語の展開そのものはとても分かりやすいのですが、内包するテーマが重厚かつ複雑で、とりわけクライマックスの“ディベート”対決の場面は、作者自身が抱いているであろう切実な人類への愛着と諦念が目まぐるしく入り乱れて圧巻!何度もページをめくる手を止め、前のページに戻ったりで、理解するのに苦労しました。
その点、映画化作品はとても分かりやすい。
その分、原作ファンには物足りなさもあるというわけです。
美しい星
私が最も気になったのは、原作で、主人公が人類滅亡にかかる深刻な危機意識を持つ対象が≪核兵器≫だったのに対して、映画化作品では、≪地球温暖化≫に改められていたこと。
“美しい星”である地球を崩壊し人類を滅亡に追い込むのは≪核兵器≫だからこそ、人類を根絶やしにする兵器を保有し、有事にはこれを使用せんとするエゴイズム、ひいては人間のあり方に鋭く言及するのが原作なんですが、映画化作品は≪地球温暖化≫に改めたがために、これら人間のあり方への問題提起が薄れたことは否めない・・・・・現に作中にも「温暖化は地球環境の周期によるものかも知れません」という台詞も出てきますし・・・・・人間が深く関わらずとも訪れる地球滅亡の危機を示唆する展開は、主人公が気が違ったとしか思えないほどに真摯な言動で人類への環境保護の重大さを訴えたところで「・・・そうは言っても、人間がどうこうできる問題じゃないんでしょ・・・」と白けさせちゃうだけだと思うんですけど。
やっぱり時代背景を考えるとやむを得ない改変だったんでしょうか。

ほかにも映画化版≪美しい星≫は、原作では自称≪木星人≫だった母親だけを宇宙人家族のなかで唯一マトモな≪地球人≫として描くことで、観客が抱く違和感や疑問の代弁者の役割を与えているほか、物語終盤、主人公と“ディベート”対決を繰り広げる羽黒助教授等論客3人組(この人たちも自称≪宇宙人≫!)の件も割愛されています。
原作では、“美しい星”に対する定義が相反する主人公とこの論客3人組が、「人類を救うべき」、「いや、人類は滅ぶべきだ」と延々数十ページにわたって論争を繰り広げるのです。
そしてその論争は、もし人類が滅んだとしたら主人公が捧げたいとする碑文で締めくくられます。

地球なる一惑星に住める 人間なる一種族ここに眠る。
彼らは嘘をつきっぱなしについた。
彼らは吉凶につけて花を飾った。
彼らはよく小鳥を飼った。
彼らは約束の時間にしばしば遅れた。
そして彼らはよく笑った。
ねがはくはとこしなへなる眠りの安らかならんことを。

素朴ながら何か胸を打つ碑文ですね。
いろいろと批判的な感想を述べてしまいましたが、小説の映画化にあたっては、いかに映像作品として成立させるかを十分に勘案し、製作に臨むのは当然ですし、原作とまったく同じ展開の映画化だとつまらない、というのも正直なところです。
≪美しい星≫も父親役のリリーフランキーさんの怪演は必見ですし、原作にはない、主人公家族が≪宇宙人≫としての自我に覚醒するシーンなど映画化作品ならではの見どころもあり、十分に楽しめます。
小説にしろ漫画にしろ、すでに完成された作品を改めて映画として再構築する作業は思いのほか大変なことなんでしょうね。

【懐かしの映画原作本集】

映画原作本
映画化された有名小説作品の数々。≪人間失格≫、≪太陽の季節≫、≪ああ荒野≫、≪沈黙≫など
映画原作本
海外の映画化されたベストセラー小説やノベライズ小説。≪ジョーズ≫、≪ゴッドファーザー≫など。
映画原作本
映画化作品の珍品集。はたして帯に“映画化”と自慢げに書かれた≪プロメテウス・クライシス≫は映画化されたんでしょうか・・・?
映画原作本
映画原作本
ハヤカワノベルズのシリーズは映画化作品の装丁が楽しいですね。






1973年。
当時、小学生だった私は、1本の映画に大変な衝撃を受けました。
正確には、テレビで放送された新作映画の特番かなんかで観たワンシーンに度肝を抜かれたのですが。
そのワンシーンとは、天地逆さまになったパーティ会場で、天井と化した床に固定されたテーブルにしがみついていた男性が悲鳴とともにその手を離した途端、遥か下方の巨大な照明に向かって真っ逆さま・・・米粒のように小さくなった男性は照明に激突。火花を散らし激しく明滅する照明・・・
天地逆転という異様なシチュエーションもさることながら、その一連の衝撃シーンはすべてワンカット撮影。
「な、何?この映画・・・っていうか本当に落下してたよね・・・ってことは演じたひと、死んじゃったってこと・・・?」
それまで、SF映画とか怪獣映画とかしか観てなくて、常識を超越したシーンはすべて特殊撮影だと思っていた私の価値観は完全に打ち砕かれたわけです。
もう、とにかく衝撃的で、次の日、学校に行くなり映画に詳しい友達に尋ねたところ、「それ、≪ポセイドン・アドベンチャー≫というアメリカ映画だよ」と。
「アメリカって凄え・・・ハリウッド映画って、わや(かなり=津軽弁)凄え・・・」
カルチャーショックに身震いする二人の田舎の小学生・・・それが私の人生を変えた映画、≪ポセイドン・アドベンチャー≫との出会いです。
ポセイドン・アドベンチャー
ポスター、チラシ、弘前スカラ座画報。
映画のスペクタクルシーンをグラフィック化したデザインが秀逸です。

ポセイドン・アドベンチャー
前売り半券
≪ポセイドン・アドベンチャー≫って確か文部省推薦映画だったんですよね。

ポセイドン・アドベンチャー
パンフレット、サウンドトラックEP盤
主題歌の≪モーニング・アフター≫はアカデミー賞を受賞しました。

≪ポセイドン・アドベンチャー≫に“大人の映画”への“筆下ろし”をしてもらった(笑)ひとは意外と多いらしく、映画評論家の町山智浩さんも≪映画秘宝≫でその影響を語っていましたね。
日本での公開は、1973年(昭和48年)の3月17日ですから、いまから45年前。
半世紀近く前の作品なんですが、「このてのジャンルものでは≪ポセイドン・アドベンチャー≫を超える作品は無いんじゃないかな・・・」と、最近、観直して痛感したわけです。
ポセイドン・アドベンチャー
≪ポセイドン・アドベンチャー≫、≪ポセイドン・アドベンチャー2≫、≪ポセイドン(リメイク作品)≫のDVDソフト。
2匹目のドジョウを狙った≪ポセイドン・アドベンチャー2≫は大コケしましたね。
リメイクした≪ポセイドン≫は大味な作品でトホホでした。
ポセイドン・アドベンチャー
8mmフィルム。
ビデオソフトが発売される前は8mmフィルムで何度も観直しましたね。

≪ポセイドン・アドベンチャー≫が公開された1970年代前半と言えば、アメリカン・ニューシネマ全盛の頃。
≪真夜中のカーボーイ≫とか≪スケアクロウ≫などの作品に象徴されるように、スタジオ撮影を否定し、低予算で、若者のカウンターカルチャー(反体制的)な思想や行動を描くといった、寺山修司の言葉を借りるならば“書を捨てよ、町へ出よう”的な製作スタイルが主流だったわけです。
巨費を投じてスタジオに絢爛豪華なセットを組んで映画を製作する、というスタイルはもはや時代遅れと言われていたこの時代に突如、現れたのが、スタジオ撮影全開のスペクタクル超大作≪ポセイドン・アドベンチャー≫だったのです。
そのため、ポール・ギャリコの原作に惚れ込み、製作を切望した本作のプロデューサー、アーウィン・アレンは、製作費の調達にとても苦労したようですね。
ポセイドン・アドベンチャー
原作本のハードカバーと文庫本。
ハードカバーは、私が生まれて初めてチャレンジした長編翻訳小説でした。

時代遅れの映画だったはずの≪ポセイドン・アドベンチャー≫は予想外の大ヒット。
この大ヒットを機にハリウッド映画が大作主義に逆戻りしたため、≪ポセイドン・アドベンチャー≫は、アメリカン・ニューシネマを殺した張本人の汚名を着せられる羽目に・・・
でも実は、≪ポセイドン・アドベンチャー≫にはアメリカン・ニューシネマの影響があちらこちらに。
まずはジーン・ハックマンが演じたスコット牧師のキャラ設定。
ポセイドン・アドベンチャー
型破りなスコット牧師。

「神は努力を惜しむ人間に救いの手を差し伸べはしない。神に祈るだけでは人生は切り開けない」と、無神論にも近い説教を力説するカウンターカルチャーな神父がヒーローとして描かれているわけですから。
そういえば、劇中のスコット神父の言葉、どこかで似たような言葉を聴いたことがあるな、と思ったら、ジョン・F・ケネディーの1961年の大統領就任演説でしたね。
「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」というケネディーの演説要旨の“国”を“神”に変えれば、スコット神父が言いたかったことにニュアンスが近いのかな、と。
無神論者寄りの神父といえば、≪ポセイドン・アドベンチャー≫の翌年公開された≪エクソシスト≫のカラス神父が思い出されますが、ベトナム戦争が泥沼化していたこの時代、神の不在にかかる問題提起がアメリカ人の精神的ゆらぎを如実に表わしているとするならば、≪ポセイドン・アドベンチャー≫は極めてアメリカン・ニューシネマ的な大作映画と言えるのではないでしょうか。
加えて、資本主義の象徴である豪華客船が転覆し、富や名声が全く通用しなくなってしまった閉塞的空間から、生命や自由という人間の本質的な存在意義を求めて旅(脱出)をするというテーマはアメリカン・ニューシネマに通底するそれではないかと。

先日、寺山修司の評論集≪地平線のパロール≫(1974年)を読んでいたら、寺山が≪ポセイドン・アドベンチャー≫の批評をしていて驚きました。
地平線のパロール 寺山修司
私が、寺山の言葉で特にこころに強く残っている「いつも死ぬのは他人」という言葉の出自が≪ポセイドン・アドベンチャー≫の評論文だったということに殊更驚いたというわけです。
結果的に集団の救済者が、医者でも、警察官でもなく、牧師だったことの意味に言及する寺山修司の≪ポセイドン・アドベンチャー≫論に興味のある方は一読を。

ポセイドン・アドベンチャー クイーンメリー号
ポセイドン号のモデルとなったクイーン・メリー号のプラモデル(レベル社)
このプラモデルで転覆したポセイドン号を作る予定なんだけど、いまだ作製に踏み切れず。
≪ポセイドン・アドベンチャー≫が月曜ロードショーで初オンエアされたとき、コメンテーターの荻昌弘さんの後ろにあったポセイドン号のディスプレイモデルが欲しくてたまらなかったな・・・確か、視聴者1名にプレゼントされたはずだけど。
ポセイドン・アドベンチャー セプテントリオン
≪ポセイドン・アドベンチャー≫のシチュエーションをテレビゲーム化した≪セプテントリオン≫。
映画で描かれた脱出のスリルがゲームで味わえます。
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