立花ハジメという≪クリエイター≫について
1970年代後半あたりから、さまざまな分野で普及し始めたコンピュータは、映画や音楽の世界にも新たな可能性を示唆し始めました。
そんな中、音楽で積極的にコンピュータを取り入れたのが≪テクノポップ≫と呼ばれるジャンルです。
リズムボックスやシーケンサーなどの機械に制御された、ある意味無機質な特徴を持った音楽が、主にYMOなどのテクノポップバンドの出現により世を席捲、社会現象にまでなりました。
いま、あの時代を振り返ってみると、確かに≪テクノポップ≫はそれまで耳にしたことのない斬新な音楽性に満ち溢れているように感じましたが、もしそれらの楽曲をコンピュータを使用せずに演奏すれば、それは聴き慣れたロックンロールやR&Bなどなど・・・実は私たちはコンピュータというツールを用いて、いかに既に成立していたさまざまなジャンルの音楽を表現するかという≪クリエイター≫の創意工夫やセンスを楽しんでいたのかも知れません。
楽器が演奏できなくても、コンピュータさえ扱えれば音楽は作れる・・・そんな“勘違い”をした私たちは高価な機材を購入し“宅録” ・・・・そしてすぐに知るのです。
“確かに高度な演奏能力は必要ないけど、より学術的に高度な音楽知識が必要なのね・・・”
コンピュータを使って楽しようとしてはいけません。
コンピュータはあくまで自分の頭の中身をカタチにするツールであり、限界ある身体能力やらを補完するツールなのですから・・・
そんな考えを体現した≪クリエイター≫として記憶に焼き付いているのが立花ハジメさんです。
立花ハジメさんは、1976年に結成された≪テクノポップ≫バンド≪プラスチックス≫のメンバーとして音楽活動をスタートします。
≪プラスチックス≫のプロモーション用アルバム
今年1月に惜しくも他界された佐久間正英さんも在籍していました。
1981年の≪プラスチックス≫解散を機にソロ活動を開始。
≪H≫、≪Hm≫などの名盤を立て続けに発表。
自身もコンピュータを駆使した音楽を製作しながら、コンピュータとは対極にあるアナログチックな楽器を自作。
立花ハジメさんが自作した楽器≪アルプス1号≫
また彼自身が作成するジャケットアートも凝りまくっていました。
≪太陽さん≫はピクチャーレコード仕様でした。
12インチシングル≪ビューティ&モダンシングス≫は手塚治虫氏とコラボ。
表面は手塚アニメのレリーフ仕様になっています。
立花ハジメさんのライヴツアーパンフレットはビデオテープでした。
そんな立花ハジメさんの才気漲る活動のなかでも特に度肝を抜かれたのが≪ダンス養成ギブス≫。
≪ダンス養成ギブス≫を装着した立花ハジメさん。
このギブス、コンピュータに接続されており、リズムに合わせて油圧式の関節が伸縮。
ヘタに抵抗しようものなら、骨折しちゃうくらいに強烈に可動し、音楽に合わせて自然にダンスしちゃうというシロモノ。
“コンピュータ使って楽ばっかしてちゃダメ。身体はって勝負しなきゃ”
当時、彼はそのような発言をしていました。
ガスを噴出しながらダンスを“強制”する≪ダンス養成ギブス≫と熾烈な闘いを繰り広げるライブは圧巻!
1980年代。
夢にまでみた21世紀の姿が少しづつ見え始めた時代。
テクノロジーの飛躍的な発展がもたらすであろう恩恵への期待と、それによって損なわれるであろうものへの不安・・・
“コンピュータをベースにしたさまざまなアイテムはツールに過ぎず、要はそれらにどう向かい合うかという人間の姿勢が重要なんだ”という立花ハジメさんのメッセージは、21世紀を迎えたいま切実に胸に響きます。
来るべく世界のあるべき姿を、類まれな才知で、音楽やアートというジャンルで提示しつ続けてくれた立花ハジメさんは、その後タイポグラフィーなどの作品を発表し、音楽活動も再開、いまなお私が敬愛し続ける≪クリエイター≫なのです。
そんな中、音楽で積極的にコンピュータを取り入れたのが≪テクノポップ≫と呼ばれるジャンルです。
リズムボックスやシーケンサーなどの機械に制御された、ある意味無機質な特徴を持った音楽が、主にYMOなどのテクノポップバンドの出現により世を席捲、社会現象にまでなりました。
いま、あの時代を振り返ってみると、確かに≪テクノポップ≫はそれまで耳にしたことのない斬新な音楽性に満ち溢れているように感じましたが、もしそれらの楽曲をコンピュータを使用せずに演奏すれば、それは聴き慣れたロックンロールやR&Bなどなど・・・実は私たちはコンピュータというツールを用いて、いかに既に成立していたさまざまなジャンルの音楽を表現するかという≪クリエイター≫の創意工夫やセンスを楽しんでいたのかも知れません。
楽器が演奏できなくても、コンピュータさえ扱えれば音楽は作れる・・・そんな“勘違い”をした私たちは高価な機材を購入し“宅録” ・・・・そしてすぐに知るのです。
“確かに高度な演奏能力は必要ないけど、より学術的に高度な音楽知識が必要なのね・・・”
コンピュータを使って楽しようとしてはいけません。
コンピュータはあくまで自分の頭の中身をカタチにするツールであり、限界ある身体能力やらを補完するツールなのですから・・・
そんな考えを体現した≪クリエイター≫として記憶に焼き付いているのが立花ハジメさんです。
立花ハジメさんは、1976年に結成された≪テクノポップ≫バンド≪プラスチックス≫のメンバーとして音楽活動をスタートします。
≪プラスチックス≫のプロモーション用アルバム
今年1月に惜しくも他界された佐久間正英さんも在籍していました。
1981年の≪プラスチックス≫解散を機にソロ活動を開始。
≪H≫、≪Hm≫などの名盤を立て続けに発表。
自身もコンピュータを駆使した音楽を製作しながら、コンピュータとは対極にあるアナログチックな楽器を自作。
立花ハジメさんが自作した楽器≪アルプス1号≫
また彼自身が作成するジャケットアートも凝りまくっていました。
≪太陽さん≫はピクチャーレコード仕様でした。
12インチシングル≪ビューティ&モダンシングス≫は手塚治虫氏とコラボ。
表面は手塚アニメのレリーフ仕様になっています。
立花ハジメさんのライヴツアーパンフレットはビデオテープでした。
そんな立花ハジメさんの才気漲る活動のなかでも特に度肝を抜かれたのが≪ダンス養成ギブス≫。
≪ダンス養成ギブス≫を装着した立花ハジメさん。
このギブス、コンピュータに接続されており、リズムに合わせて油圧式の関節が伸縮。
ヘタに抵抗しようものなら、骨折しちゃうくらいに強烈に可動し、音楽に合わせて自然にダンスしちゃうというシロモノ。
“コンピュータ使って楽ばっかしてちゃダメ。身体はって勝負しなきゃ”
当時、彼はそのような発言をしていました。
ガスを噴出しながらダンスを“強制”する≪ダンス養成ギブス≫と熾烈な闘いを繰り広げるライブは圧巻!
1980年代。
夢にまでみた21世紀の姿が少しづつ見え始めた時代。
テクノロジーの飛躍的な発展がもたらすであろう恩恵への期待と、それによって損なわれるであろうものへの不安・・・
“コンピュータをベースにしたさまざまなアイテムはツールに過ぎず、要はそれらにどう向かい合うかという人間の姿勢が重要なんだ”という立花ハジメさんのメッセージは、21世紀を迎えたいま切実に胸に響きます。
来るべく世界のあるべき姿を、類まれな才知で、音楽やアートというジャンルで提示しつ続けてくれた立花ハジメさんは、その後タイポグラフィーなどの作品を発表し、音楽活動も再開、いまなお私が敬愛し続ける≪クリエイター≫なのです。
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