
マスク無しで観たいぞ!≪シン・ウルトラマン≫

2021年も早や1カ月が過ぎました。
今年こそは幸多き年になることを祈念いたします。
報道番組なんかで“緊急事態宣言”やら“変異体”やら“エビデンス”といった文言を繰り返し見聴きして≪シン・ゴジラ≫を思い出したひとも多いのではないでしょうか。
フィクションと現実世界の混同がご法度なのは分かりますが、どうしてもサブカル好きの私なんかは、この度の地球規模での危機的状況に過去の数多のSF・パニック映画を連想してしまいますし、記憶の新しさというところで≪シン・ゴジラ≫で描かれた日本の危機管理体制に着目してしまいます。
それにしても、騒動の発端が一隻の船であったこと、敵対する相手が変異を繰り返しやがては世界中に拡散する厄介な存在であること、現時点においては決定的な対処法が無く、将来的に人類は共存の道を辿ることを強いられるであろうことなどなど、やたらと≪シン・ゴジラ≫との共通点が見受けられるのには正直、驚いてしまいます。
劇中、≪巨災対≫の面々がゴジラの遺伝子分析を行い対抗策を練るシーンは、現実社会においてウィルスワクチンや特効薬の開発に奮闘する研究者の姿を連想させますし、人類共通の敵として共に手を取り合って立ち向かわねばならないはずなのに、利己主義故に対立・分裂する国際社会の姿が≪シン・ゴジラ≫同様に露呈したのも記憶に新しいところです。
この度の騒動では、緊急事態宣言のエビデンスやその発令のタイミングを巡っての賛否が加熱していますが、≪シン・ゴジラ≫では、未確認巨大生物という歴史を遡っても前例のない人類の危機に対して、自然災害発生時に倣って緊急事態宣言を発令し、災害対策基本法や災害救助法などの法律を適用して対処したと記憶しています。
劇中、自衛隊の出動要請も東京都知事が都民の避難要請に限定して行いましたが、国と東京都のギクシャクした関係性を示唆するシーンがいくつかあり、思わず劇場で苦笑したのを憶えています。
前述のとおり、映画と現実をごちゃまぜにしてこの度の騒動を論ずるべきではありませんが、≪シン・ゴジラ≫で描かれた官民はもとより政治家と有識者(学識経験者)等との連携による問題解決のあり方や人類共通の敵に対して一丸となって対抗する国境を超越した協力体制(≪シン・ゴジラ≫では情報漏洩の懸念を超越した世界各国のスーパーコンピュータによる遺伝子解析が描かれましたね)にはこの度の世界危機を乗り越えるためのヒントがあるように思えます。

いずれにしても劇中で、長谷川博己さん演ずる矢口内閣官房副長官が語気を強めた『この国はまだまだやれる』、『この国を見捨てずにやろう』という強固な理念を私たちも胸に刻んでこの状況を乗り越えたいと思うばかりです。

・・・とここまで書いていたら、な、な、なんと!庵野秀明×樋口真嗣コンビによる≪シン・ウルトラマン≫の予告編映像が公開されました。
今回は、企画・脚本が庵野秀明さん、監督が樋口真嗣さんという、ほぼ≪シン・ゴジラ≫スタイルで製作。公開は今年の初夏とのこと。
登場する怪獣2体(一説によると変異する怪獣であるため1体との説も・・・)のほか、テレビドラマとは一線を画すリアル志向の科学特捜隊(?)やカラータイマーを取り除いた新生ウルトラマンの映像も公開され、期待は高まるばかりです。



庵野、樋口コンビは≪シン・ゴジラ≫の製作において、2011年の東日本大震災による日本の危機をモチーフにしたのは有名ですが、今度の≪シン・ウルトラマン≫ではこの度のウィルス騒動をモチーフにした世界観を描くのでしょうか。
≪シン・ゴジラ≫では官僚や閣僚、自治体の首長等、政治に携わる者の視点で国家の危機を描きましたが、≪シン・ウルトラマン≫では日常に怪獣という異質な生物が存在する人間社会を国民の視点でリアルに描くのでしょうか。
いずれにしても元気を失いつつあるエンタメ界のカンフル剤として≪鬼滅の刃 劇場編≫に続く大ヒットを期待して止みません。
恒例の自粛生活下の≪Go To 読書≫(勝手に命名)コーナーです。
今回は、奇書というより、読書後の後味がなんとも苦い・・・というか戸惑ってしまう書籍を1冊紹介します。
題名は≪三島由紀夫の首≫。
著者は映画監督として≪戦後残酷物語≫や≪白日夢≫などの問題作を世に放った武智鉄二です。
1972年に発売された小説ですが、内容がもうとんでもないというか、不謹慎というか・・・

紹介するのも憚られるあらすじは・・・
1970年に自害した三島由紀夫の遺体がある日突然、蘇ります。
もちろん、市ヶ谷駐屯地で割腹した際に介錯を受けていますので頭部は無く、身体だけで墓所から蘇り、その身体は一路、国会議事堂を目指して前進を始めます。
この異常事態に自衛隊が出動しますが、1970年11月25日のあの日、自分の演説に耳を貸そうとはしなかった三島の自衛隊への怒りは治まっておらず、怪力で自衛隊員を次々とバラバラに粉砕(!)し、血まみれになりながら前進を続けます。
一方、三島の頭部は身体とは別に宙を舞い移動、なんと、同じく頭部だけで宙を舞う平将門と遭遇します。
介錯を受けた際、鉢巻がずれ落ちて目を覆ってしまったために視界不良だった三島は将門の助けにより鉢巻を取り除き、意気投合。三島由紀夫と平将門の頭部だけの夢の対談が始まります。
奥方と性交中(笑)の著者、武智鉄二を訪問する三島の身体や天皇制にかかる将門との首討論など、不真面目なのか真面目なのか理解に苦しむ描写の乱れ打ちに目が眩む・・・・
生前、三島と親交のあった武智鉄二は、前述の映画≪白日夢≫公開において“わいせつ図画公然陳列罪”で起訴されるほどの人物ですので、本作にも読者が決して望まない(美しくない)性的描写がこれでもかと描かれますし、自衛隊の攻撃をものともせずに武器兵器を破壊し、自衛隊員を皆殺しにしながら前進を続ける三島の身体の描写には、1954年公開の怪獣映画≪ゴジラ≫の影響がみてとれます。
そういえば三島は、公開当時、“ゲテモノ”映画として評価の低かった≪ゴジラ≫を『面白い』と評価した数少ない文化人の一人でしたね。
≪三島由紀夫の首≫は、いまとなっては入手に少しばかり苦労する一冊ですし、読んだからといって自慢できる作品でもないのですが、世の中には自分の理解を超越した作品がまだまだ存在する、ということを痛感させてくれた一冊ではありますね(笑)。
今年こそは幸多き年になることを祈念いたします。
報道番組なんかで“緊急事態宣言”やら“変異体”やら“エビデンス”といった文言を繰り返し見聴きして≪シン・ゴジラ≫を思い出したひとも多いのではないでしょうか。
フィクションと現実世界の混同がご法度なのは分かりますが、どうしてもサブカル好きの私なんかは、この度の地球規模での危機的状況に過去の数多のSF・パニック映画を連想してしまいますし、記憶の新しさというところで≪シン・ゴジラ≫で描かれた日本の危機管理体制に着目してしまいます。
それにしても、騒動の発端が一隻の船であったこと、敵対する相手が変異を繰り返しやがては世界中に拡散する厄介な存在であること、現時点においては決定的な対処法が無く、将来的に人類は共存の道を辿ることを強いられるであろうことなどなど、やたらと≪シン・ゴジラ≫との共通点が見受けられるのには正直、驚いてしまいます。
劇中、≪巨災対≫の面々がゴジラの遺伝子分析を行い対抗策を練るシーンは、現実社会においてウィルスワクチンや特効薬の開発に奮闘する研究者の姿を連想させますし、人類共通の敵として共に手を取り合って立ち向かわねばならないはずなのに、利己主義故に対立・分裂する国際社会の姿が≪シン・ゴジラ≫同様に露呈したのも記憶に新しいところです。
この度の騒動では、緊急事態宣言のエビデンスやその発令のタイミングを巡っての賛否が加熱していますが、≪シン・ゴジラ≫では、未確認巨大生物という歴史を遡っても前例のない人類の危機に対して、自然災害発生時に倣って緊急事態宣言を発令し、災害対策基本法や災害救助法などの法律を適用して対処したと記憶しています。
劇中、自衛隊の出動要請も東京都知事が都民の避難要請に限定して行いましたが、国と東京都のギクシャクした関係性を示唆するシーンがいくつかあり、思わず劇場で苦笑したのを憶えています。
前述のとおり、映画と現実をごちゃまぜにしてこの度の騒動を論ずるべきではありませんが、≪シン・ゴジラ≫で描かれた官民はもとより政治家と有識者(学識経験者)等との連携による問題解決のあり方や人類共通の敵に対して一丸となって対抗する国境を超越した協力体制(≪シン・ゴジラ≫では情報漏洩の懸念を超越した世界各国のスーパーコンピュータによる遺伝子解析が描かれましたね)にはこの度の世界危機を乗り越えるためのヒントがあるように思えます。

いずれにしても劇中で、長谷川博己さん演ずる矢口内閣官房副長官が語気を強めた『この国はまだまだやれる』、『この国を見捨てずにやろう』という強固な理念を私たちも胸に刻んでこの状況を乗り越えたいと思うばかりです。

・・・とここまで書いていたら、な、な、なんと!庵野秀明×樋口真嗣コンビによる≪シン・ウルトラマン≫の予告編映像が公開されました。
今回は、企画・脚本が庵野秀明さん、監督が樋口真嗣さんという、ほぼ≪シン・ゴジラ≫スタイルで製作。公開は今年の初夏とのこと。
登場する怪獣2体(一説によると変異する怪獣であるため1体との説も・・・)のほか、テレビドラマとは一線を画すリアル志向の科学特捜隊(?)やカラータイマーを取り除いた新生ウルトラマンの映像も公開され、期待は高まるばかりです。



庵野、樋口コンビは≪シン・ゴジラ≫の製作において、2011年の東日本大震災による日本の危機をモチーフにしたのは有名ですが、今度の≪シン・ウルトラマン≫ではこの度のウィルス騒動をモチーフにした世界観を描くのでしょうか。
≪シン・ゴジラ≫では官僚や閣僚、自治体の首長等、政治に携わる者の視点で国家の危機を描きましたが、≪シン・ウルトラマン≫では日常に怪獣という異質な生物が存在する人間社会を国民の視点でリアルに描くのでしょうか。
いずれにしても元気を失いつつあるエンタメ界のカンフル剤として≪鬼滅の刃 劇場編≫に続く大ヒットを期待して止みません。
恒例の自粛生活下の≪Go To 読書≫(勝手に命名)コーナーです。
今回は、奇書というより、読書後の後味がなんとも苦い・・・というか戸惑ってしまう書籍を1冊紹介します。
題名は≪三島由紀夫の首≫。
著者は映画監督として≪戦後残酷物語≫や≪白日夢≫などの問題作を世に放った武智鉄二です。
1972年に発売された小説ですが、内容がもうとんでもないというか、不謹慎というか・・・

紹介するのも憚られるあらすじは・・・
1970年に自害した三島由紀夫の遺体がある日突然、蘇ります。
もちろん、市ヶ谷駐屯地で割腹した際に介錯を受けていますので頭部は無く、身体だけで墓所から蘇り、その身体は一路、国会議事堂を目指して前進を始めます。
この異常事態に自衛隊が出動しますが、1970年11月25日のあの日、自分の演説に耳を貸そうとはしなかった三島の自衛隊への怒りは治まっておらず、怪力で自衛隊員を次々とバラバラに粉砕(!)し、血まみれになりながら前進を続けます。
一方、三島の頭部は身体とは別に宙を舞い移動、なんと、同じく頭部だけで宙を舞う平将門と遭遇します。
介錯を受けた際、鉢巻がずれ落ちて目を覆ってしまったために視界不良だった三島は将門の助けにより鉢巻を取り除き、意気投合。三島由紀夫と平将門の頭部だけの夢の対談が始まります。
奥方と性交中(笑)の著者、武智鉄二を訪問する三島の身体や天皇制にかかる将門との首討論など、不真面目なのか真面目なのか理解に苦しむ描写の乱れ打ちに目が眩む・・・・
生前、三島と親交のあった武智鉄二は、前述の映画≪白日夢≫公開において“わいせつ図画公然陳列罪”で起訴されるほどの人物ですので、本作にも読者が決して望まない(美しくない)性的描写がこれでもかと描かれますし、自衛隊の攻撃をものともせずに武器兵器を破壊し、自衛隊員を皆殺しにしながら前進を続ける三島の身体の描写には、1954年公開の怪獣映画≪ゴジラ≫の影響がみてとれます。
そういえば三島は、公開当時、“ゲテモノ”映画として評価の低かった≪ゴジラ≫を『面白い』と評価した数少ない文化人の一人でしたね。
≪三島由紀夫の首≫は、いまとなっては入手に少しばかり苦労する一冊ですし、読んだからといって自慢できる作品でもないのですが、世の中には自分の理解を超越した作品がまだまだ存在する、ということを痛感させてくれた一冊ではありますね(笑)。
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